9 カール・ローダー

カール・ローダー(生没年不詳)は、ピアノ教師。ジュリアード音楽院の教師。アントワーヌ・ド・コンツキに学んだ。彼を記念してカール・M・ローダー記念賞(Carl M. Roeder memorial prize)が創設されている(ヴァン・クライバーンも受賞している)。数冊のピアノ教本を著している。

ピアノ教師の問題

カーネギーホールにあるカール・ローダーのスタジオは心地よいところだった。レッスンの休憩時間にここでインタビューしたとき、ローダーは言った。

「向上心のある教師は、メソッドに新たなものをどんどん取り込んでいくものです。このような教師は、多くのメソッドやソースからアイディアを得て、それを吸収し、自分の仕事用に実践的なものにするのです。それと同時に教師は自分自身のために、方法を最初から作り出すということもしなくてはいけない。これは私が経験してきたことです」

「私は『神童』のようなものでした。幼い頃に相当の能力と才能を示したのです。民間のいろいろな教師に教えを受けたり、音楽院で学んだりして、経験を積んだあと、私はかなり若い頃にコンツキ(*)の生徒になりました。コンツキといえば、当時の名士《ライオン》です」

ローダーの発言に我々が笑うと、しゃべった本人も笑いに加わった。この「ライオン」という語は、コンツキの代表作である≪ライオンの目覚め≫を想起させるものだった。

アントワーヌ・ド・コンツキ

(*)アントワーヌ・ド・コンツキ(一八一七―一八九九)は、ポーランドのピアニスト、作曲家。ピアノ曲≪ライオンの目覚め≫(作品一一五)は、当時世界的な人気作。日本を含む世界演奏旅行もしている。

「コンツキのスタイルはとっても華やかなもので、この点で私は彼を模倣しようと努力しました。当時はかなりの数のコンサートを開いていました。ですがピアニストの収入がかなり不安定なものだということがわかったので、ピアノを教えることを決断したのです。当時は若くて、私はピアノの教師は楽な人生だと考えていました。私は、相当な名声のあった某教授のことを覚えていました。その人は自分の職業的義務をとても軽く考えていた。彼がどんなふうにレッスンをしていたか。ピアノの上に楽譜を置き、生徒に弾き始めるように言う。それから快適なカウチに身を引き、パイプに火をつけて気楽にそれをくゆらせる。生徒のしていることについてほとんど骨を折ろうとしないのです。『それではダメだ!』などとたまに叫ぶぐらいのものでした」「パイプ 無料素材」の画像検索結果「だから私もピアノを教え始めたんですが、教えることは自分が想像していたのとかなり違ったことだとすぐに気づいた。教えることについて、ほとんど何もわかっていなということにも気づきました。私はその時、ピアノの教え方を学ぶことにしたのです。学びに来る門下生をいかにして手助けするかということを学ぼうというわけです」

「教えていて最初にわかったことのひとつは、ほとんどの生徒が固い手首と腕で苦しんでいて、それをどうにかしなくてはいけないということでした。私自身の演奏はいつも自由なのですが、これは初期の教師が私に、『重み』の原理を徹底的に叩き込んでくれたおかげでした(『重み』の原理は現代の発見としてこのごろ評価されています)。しかしそれを他の人のなかにどのようにしてもたらしてあげるかということは大きな問題でした」

ウィリアム・メイソン

「そこで私はメイソン(*)のメソッドを学んだところ、リラックスや脱力にかんして役に立つような考えをたくさん見出し、目を開かされたのです。私はS・B・ミルズ(*)のレッスンをいくつか受けました。その後パオロ・ギャリコ(*)のもとで、かなりの価値のある学びを経ました。ギャリコは音楽的財産の大いなる倉庫を私のために開いてくれたし、なかでも彼の芸術のスピリチュアル・テクニックを、私に明らかにしてくれました。

(*)メイソンについては別章。
(*) セバスチャン・バック・ミルズ(一八三九―一八九八)は、イギリス出身のピアニスト。主にアメリカで活躍。重要なピアノ曲を数多くアメリカ初演している。
(*)パオロ・ギャリコ(一八六八―一九五〇)は、イタリアのピアニスト。一八九五年にニューヨークに移住している。

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ヴァージルと夫人

続いて私はヴァージル(*)とレシェティツキのメソッドを調べました。ヴァージル氏はピアノの技術的要件を体系化してまとめた点で目覚ましい業績を挙げています。このことに関して私たちは彼に多くを負っています。ヴァージル氏以前には、そうした分析は彼ほどの注意深さと精密さでは、なされてこなかったのです。彼の業績はピアノ教育に最高に役立っています。それに続いてハロルド・バウアー(*)に学んだのですが、そのなかで私はバウアーが音楽を深く考える人であるとともに、音楽そのものの意味を教えてくれる優れた教師であるということを知りました」

(*)アルモン・キンケイド・ヴァージル(一八四二―一九二一)は、アメリカのピアノ教師。『ヴァージル・ピアノ・メソッド』などの教本を書いている。
(*)ハロルド・バウアーについては別章。

「私は基本的にレシェティツキの考えに沿ってピアノを教えていますが、私自身の技術や生徒の技術にとって最も役立つと思うやり方に作り変えています。私は、将来安心して建物を築ける土台となる原理を基礎として、自分自身のメソッドを定式化しました。最初に生徒それぞれに、何も書かれていない本が与えられます。そこに一人ひとりの要求に適うように開発されたエクササイズが書き込まれるのです」

基礎的なエクササイズ

「私たちはまず机上での練習から始めます。十種類ほどのエクササイズをやるのですが、要するにこれらはピアノ演奏の原理を盛り込んだものです。手は最初、弧状の姿勢をとります。指をカーブさせて固めます。親指は適切に動くように教えなくてはいけません。多くの生徒が、親指のコントロールを全然学んできていないからです」

「私は手をしっかりと固めた姿勢にして、腕を肩から自由にぶら下げたままにして、腕と手首を組み合わせて動かし始めます。この狙いは、腕の重みのエネルギーすべてを指先に回すということです。それぞれの指はカーブした姿勢でしっかりと保ち、腕と手首の回転的な動きによって操作します。これができると次に、手首での手のアクションを学びます。スタッカートのタッチとなるものです。ご承知のように、手のスタッカートというこの形式にはパーカッション的な含みがあります。しかしこのパーカッション的な含みは、スタッカートのタッチに、ダイレクトな性質と正確さ――私としてはいずれも必要なものだと思うのですが――を与えてくれます」

「そして次に、指のアクション自体に移ります。この原理は徹底的に身に付けます。最初に指一本で。それから指二本で。そして指三本、四本、五本と続きます。考えられるすべての組み合わせで練習します。このようにして、自由な腕の動作という大きなことから、指の動きという比較的小さなところに至ります。小さなことから大きなことへ、という順序ではなく、『一般』から『個別』ということですね。最初にリラックスを身につけるのが最も必要なことだと思います。それから手を強くして、作っていく。そのうえで初めて、いくらかの指のアクションの使用が来ます。こうした基礎的な点を身につけた暁に、トリル、音階、アルペジオ、和音、オクターブ、重音の練習が出てきます。それと同時にリズム感が養われる。あらゆる種類のタッチと強弱法が導入される。また和声や構造の分析にも入っていくのです」

エチュードの使用

「私は三学年か四学年以上の生徒には、エチュードを頻繁に使います。エチュードは様々な本から取ってきます。デュヴェルノワ(*)の作品一二〇。ベーレンス(*)の作品六一。ツェルニー(*)の作品七四〇(使い古された作品二九九よりずっと面白いと思います)。ヘラー(*)は欠かせません。とてもメロディアスで音楽的です。アーサー・フット(*)のエチュード作品二七はとても役に立ちます。マクダウェル(*)の作品三九と作品四六もそうです。ときどき私はいくつかクラーマー(*)のものや、クレメンティ(*)の≪グラドゥス≫を使います。これらは今では多少古めかしいように思われますけどね」

カール・ツェルニー

(*)ジャン=バティスト・デュヴェルノワ(一八〇二―一八八〇)は、フランスのピアニスト・作曲家。作品一二〇は≪メカニズムのための十五の練習曲≫。
(*)カール・ツェルニー(一七九一―一八五七)は、オーストリアのピアノ教師。ベートーヴェンの弟子。リストやレシェティツキの師。ピアノ教本の作曲家として有名。作品七四〇は≪指づかいの技法(五十番練習曲)≫、作品二九九は≪熟練の手引き(四十番練習曲)≫
(*)ヘルマン・ベーレンス(一八二六―一八八〇)は、ドイツ出身のスウェーデンのピアニスト・作曲家・指揮者。作品六一は≪なめらかさのための最新式の訓練≫。全四十曲のうち第三十二曲(イ短調の練習曲)が有名。
(*)ステファン・ヘラー(一八一三―一八八八)は、ハンガリーのピアニスト・教師・作曲家。中級練習曲の作曲家として知られる。
(*)アーサー・ウィリアム・フット(一八五三―一九三七)は、アメリカのオルガニスト・作曲家。当時としては珍しく国内のみで教育を受けた。室内楽の作曲家として知られる。 作品二七は≪九つの練習曲≫。
(*)エドワード・アレグザンダー・マクダウェル(一八六〇―一九〇八)は、アメリカの作曲家・ピアニスト・教師。≪野ばらに寄す≫を始めとするピアノ小品を多数残す。少年期、本書登場のピアニスト、テレサ・カレーニョにピアノを学んでいる。作品三九は≪十二の練習曲≫、作品四六は≪十二の技巧的練習曲≫。
(*)ヨハン・バプティスト・クラーマー (一七七一―一八五八) は、ドイツのピアニスト・作曲家・教師。≪八十四の練習曲≫(作品五十)は有名で、ハンス・フォン・ビューローによって校訂もされている。
(*)ムツィオ・クレメンティ(一七五二―一八三二)は、イタリアの作曲家・ピアニスト。近代的ピアノ奏法の創始者。全百曲の練習曲≪グラドゥス・アド・パルナッスム≫(作品四四)ほか≪六つのソナチネ≫(作品三六)で有名。

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ハーバービア

「さらに上級の生徒には、ハーバービア(*)の作品五三が特に適切だと思います。そのなかには美しい作品があります。ケスラー(*)の作品二〇と、モシュコフスキ(*)のエチュード作品七二には、上級の演奏者にとって優れた素材が含まれていますし、ヘンゼルト(*)、ルビンシテイン、ショパン、リストのエチュードの準備になります。エチュードには高い価値があると思います。それは技術の原理を応用するという点でもそうですし、狙いを絞って勉強できるという点でもそうですよね。さらには、あらゆる側面で演奏を洗練させていくという点でも価値があります。ほとんどエチュードを使わない教師もいます。技術を曲に直接応用するのが良いと信じているわけですね。しかし私はエチュードはしばしば曲よりも価値があると思っています。なぜならあらゆるやり方で、はっきりと特定の技術の原理が扱われているからです。私はエチュードを記憶するようには求めませんが、エチュードから最大の利益を引き出したいのであれば、生徒はそれを通常の楽曲と同じような完成度で演奏しなくてはいけません」

(*)エルンスト・ハーバービア(一八一三―一八六九)は、ロシアで活躍したピアニスト・教師。作品五三(二十四曲)と作品五九(八曲)を合わせて三十二曲の≪詩的練習曲≫として括られる。
(*)ヨーゼフ・クリストフ・ケスラー(一八〇〇―一八七二)はドイツのピアニスト。作品二〇は≪二十四の練習曲≫。ショパンから≪二十四の前奏曲≫の献呈を受けた人でもある。
(*)モーリツ・モシュコフスキ(一八五四―一九二五)は、ポーランド出身のピアニスト・作曲家・指揮者。作品七二は≪十五の技巧的練習曲≫。
(*)アドルフ・フォン・ヘンゼルト(一八一四―一八八九)は、ドイツ出身のピアニスト・教師。ロシアのピアノ楽派に大きな影響を及ぼした。

役に立つ書物

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ハーマン・ホーン

「教育という技術《アート》を学ぶにあたって、非常に役に立った本が幾つかあります。例えばハーマン・ホーン博士(*)による二巻物(『教育の哲学』と『教育の心理学』)です。得ることが多かった本としては、他にもウィリアム・ジェイムズの『心理学について』があります。すべての教師がこれを持っておくとよいでしょう」

(*)ハーマン・ハレル・ホーン(一八七四―一九四六)はアメリカの教育学者。教育に対する宗教的アプローチを提唱した。

「たくさん曲を演奏してきたわりにピアノ学習の正しい原理についてほとんど考えを持っていない新しい生徒に対して、私がどのようなメソッドを追求しているかをお尋ねですね? たとえば何年もレッスンを受けてきたけれど、根本原理に無知な人を取り上げてみましょう。腕と手首は固く、手と指は窮屈な姿勢になっています。どこにも自由がありません。この場合まず私は生徒を立たせて、腕・肩・体をリラックスさせることを学ばせます。それから呼吸を学んでもらいます」

「しかしリラックスはたとえ最初にすべきことであっても、それだけでいいわけではありません。脱力の次に来るのは、適切な場所における組織化・固定性・安定性です。ピアノ演奏というものが、一日に六時間から七時間、指を動かしながらピアノの前で座ってるだけのことでは決してないということを一番最初に生徒に理解させなければいけません。機械的な側面は予備的なことにすぎません。演奏の要素は三つのH、すなわち頭《head》・手《hand》・心《heart》であると言った人がいました。私は次のことを同時に行おうと努めているものです。すなわち『生徒のなかに思考を呼び覚ますこと』『生徒の視野を広くすること』『ピアノ演奏とは、詩人・画家・哲学者が各自の手段によって示そうと努めているすべてのことを、音を通じて表現することである――これを生徒に教えること』がそれです。私はこの目的のために、目に見えている宇宙の不思議さを、人類の知的な業績を、さらに精神的洞察とかかわる深遠なものごとを、生徒に語る。このようなことへの生徒の関心を刺激するように努めているということです」

Our Approach & Amp Thinking Mesure Employee Engagement

解釈について

「解釈については、『私はこの曲をこのように見て、このように感じています。どうしてそう把握しているか、そのわけを話しましょう』などと、学者みたいにもったいぶった言い方をするのは避けるべきだと思います。単に『この曲はこんなふうに弾いてください』と言えば済む話です。教師としてうまくやれるのはピアニストだと私は思います。ピアニストはすべてのポイントを理解しているはずだし、それを自分で実演できるはずです。さもなければどうやってピアノの弾き方を教えられるでしょうか。ニュアンスも、色彩やフレーズの機微も、口では説明できません。味わい深かったり華麗だったりする部分の効果的な演奏についても、同じことです。実際に示す必要があるんです」

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トルストイ

「さらに言うと、実際に道を歩んできた人だけが安全なガイド、共感的な導き手となることができるのです。トルストイは、民衆の中で生活してその試練を共有して彼らに足りていないものを経験しない限り、彼が勇気を与えたいと思っている人たちの役に立つことはできないと悟っていました。音楽家や作曲家が、音楽のことしか知らないある種の狂人であると考えられる時代は終わったのです。私たちは、偉大な作曲家が最高の知性と教養を備えた人たちだったことを知っています。彼らの目的は、自分達の天分を遺憾なく発揮して最高の作品を作ることでした。彼らは最高のもの以外では満足できなかった。ジョージ・エリオットが言ったように、『天才とは、数限りない苦しみを引き受けることができる器』なのです。ベートーベンがそれぞれのフレーズにどれほど配慮していたかを考えてください。何度書き直したでしょうか。彼は満足できるまでそれを投げ出さなかったのです」

ヨーロッパの優れた教師たちについて語るなかで、ローダー氏は次のように続けた。

「私たちはレシェティツキのメソッドについて、多くのことを耳にしています。しかしこの巨匠にとって技術はかなり二義的なことです。生徒がひとたび原理をマスターすれば、レシェティツキ自身はほとんどそれに関与することはありません。彼が関心を持つのは、全体としての作品の把握です。聴衆に対して作品を最も効果的に――言わば――映し出すにはどうすればよいのかが、彼には大事なのです。彼はある時にはある箇所を、また別の時には別の箇所を引き立たせます。聴衆に鮮やかな映像を与えるために、ある場所にアクセントをつけたり、また違うところを少しばかり強調したりしながら、そうするのです」

「ピアノ作品のうちでも大作を演奏できるほどの技術的な備えがある人にとっては、ハロルド・バウアーもまた多くを教えてくれる巨匠です。バウアーが与えてくれるものに対して準備ができていないレベルの人が、バウアーに教わりに行くこともある。しかし自分の注意を音楽の意味に向けることができるレベルの人にとってこそ、バウアーは素晴らしいインスピレーションの源泉となります。最初に彼は、一曲を通してあちこちでフレーズを指摘していくでしょう。彼はこのようにして、作曲家の思念のなかで、同じ観念がどれほど多彩の様相を呈しているかを示すのです。それから彼は、どのようにすれば、これらのさまざまな糸を集めて完璧な模様――作曲家の頭にあったもの――を織りなすことができるかを示します。そして最後にこの偉大な教師は、作曲家の作り出した形態や作曲家の意図という深部に、すなわちその作品における核心部にたどり着くのです。こうして弟子たちは、啓示の光と力を感じるのです」

ハロルド・バウアー

「この時代が表層的であるという事実を否定することはできません。芸術の大きな役割は、人々を精神的に高めたり鼓舞したりする理想主義を深めていくことです。重要な意味において、教師は『正しいこと』の伝道者でなくてはいけません。そのような教師は『美しい物は粘土から作られる。だがそれは最初に火を通過しなければならない』ということを知っています。その焦げに耐えることができる生徒だけが、成功を望むことができるのです」

個性の問題

「演奏者の個性を演奏にどの程度反映させてよいかを尋ねられたとしたら、私の答えは『個性が作曲家の意図に忠実である限りにおいてのみである』というものです。個性が音の姿を明らかにして、趣き・面白み・効果をそれに付け加える限りにおいて、個性は称賛されてもよい。しかしそれが音に対する見晴らしを妨げて、個性自体を注目させるものだとしたら、それは許されるべきではありません。それは芸術ではなくて虚栄なのです」

「ええ、私は生徒がひとたび腕の重みの原理を完全に確立してしまえば、高い指のアクションも、圧力によるタッチも共に教えます。もっとも私は高い指のアクションを、指の独立と正確さを発達させるためだけに使っていますけどね(はっきりした輪郭が要求されるパッセージにも使いますが)。体・腕・手首を自由にし、手を固定して安定した弧状にし、鍵盤に指を置いたままの弾き方が良いと私は思っています。自由さは、演奏におけるさまざまな要素のコントロールを保証する最高のものです。こうしたコントロールがあれば、演奏者は思い通りに力・速さ・繊細さといった効果を生み出せます。これによってすべての機械的な側面が完全に意のままになる。このことが演奏に対して支配力をふるうのです。言い換えれば、私は政府を欲しないアナーキスト(無制限の脱力のこと)でもなければ、すべての政府への抗議である社会主義者(制限・硬直のこと)でもありません。ピアノの演奏においても、他のものすべてにおけるのと同様に、『美徳とは二つの悪徳の中庸』なのです」