25 アグネス・モーガン

アグネス・モーガン(生没年不詳)は、ウィリアム・メイソンに師事。当時のある書籍では、メイソンの優秀な門下生としてシャーウッドと併称されている。また当時のピアニスト、ジャーヴィス・パーリーとキャロライン・キーティング・リードの教師として言及されている。その他は不明。本文が最も詳細な説明となりそうである。本文にあるように「ひっそり成果を出す」人だっため、実績ほどには名を留めなかったのかもしれない。代わりに私たちが思い出しておこう。

シンプルに伝えるピアノ教育

ニューヨークのピアノ教師のなかで最も多忙な一人が、アグネス・モーガン夫人である。彼女のプライベートレッスンを受ける生徒の数は、一シーズンで百人近くにものぼる。夫人は二十年以上精力的にピアノを指導して、評価を高めてきた成功者であるが、多くを語らずにひっそりと成果を出す人なので、世間は彼女のことをその門人たちの業績を通じてしか知らない。

この教師は今、生徒を自分で選り好みできるところまで上り詰めている。彼女はこのことをとても心地よく感じているが、それはピアノ教育で持ち上がる多くの単調な仕事から逃れられるためである。生徒を選べることはまた、彼女が自分の仕事を気に入っている理由の一つでもある。

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シーズン中、朝九時から夜六時過ぎまで教えている人に、指導法のことを語り合う時間をとってもらうことは容易ではない。しかし幸いなことに先日、インタビューを受けてもらうことができた。

この教師を慕って多くの生徒が集まり続けるのは、彼女のどのような指導力・影響力の賜物なのだろうか。彼女のもとには上流社会の娘たちだけでなく、真剣に音楽を志す学生や若手教師たちも集まるが、その理由は何なのだろうか。彼女には助手が五人いて、彼女自身から学ぶにはまだ早い生徒を、代わりに教えてもらっているが、これほどの数の助手が必要なほどに多くの生徒を引きつけている魅力は何なのだろうか。私にはこのような問いが生まれていた。

彼女は謙虚で気取らない女性だった。初めてお会いした時、暖かい挨拶をいただいた。自身の仕事を語るその様子には、静かな威厳が宿っていた。モーガン夫人のもとに人が集まる理由はただ一つ、彼女が生徒に一定の観念をできるかぎりシンプルに伝える能力を持っていることだ。私はこのインタビューでそのように感じた。

モーガン夫人は語り始めた。

「私の師であるウィリアム・メイソン博士(*)は、音楽的なタッチは生得的なものであって、作られるものではないとよく言っていました。しかし私は、教育によって生徒を最高の音が出せるように導くことは可能だということを発見しました。子供でも最高の音が出せます。すべての秘訣は腕と手首をリラックスさせること、手を弧状の姿勢にすること、指の第一関節を固定させることにあります」

ウィリアム・メイソン

(*)ウィリアム・メイソンについては別章。

アメリカ人教師から得たインスピレーション

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モーリツ・モシュコフスキ(1854-1925)

「メイソン博士自身は、私に物事の道理を見つめるようにさせてくれた人だと思います。彼に出会うまで、私はいつも多かれ少なかれ派手に演奏していました。技術を身につけることは私には容易だったからです。それまで学んでいたライプツィヒで、私はピアノ演奏の原理についてまったくと言ってよいほど学んでいなくて、難しい曲をたくさん『詰め込む』だけでした。モシュコフスキにも学んでいましたが、実際のところ私に初めて物事を深く考えさせるようにしてくれたのは、アメリカ人教師のメイソン博士でした。私は何かやるときの背後にある原理についてとても真剣に考え始めたので、博士とはしばしば徹底的に議論するようになりました。最後には博士は笑ってこう言っていました。『君は自分の道を行きなさい。私は自分の道を行きますから。でも二人とも最終的には同じところにたどり着きますよ』と。その時以来、私は演奏について独自のシステムを編み出すところまで突き進みました。教師は歩みをやめることがあってはなりません。各生徒を指導した経験から何も学ばないとしたら私は愚か者でしょう。生徒一人ひとりが、他と代えの効かない研究材料を提供してくれるのです。私はピアノ技術のテーマをごく簡潔な形で提示する努力をしてきました。その結果として、二十五年間成長できているのでしょう。私はつねに何が非本質的で、何が省略できるかを学んできたのです」

シンプルであること

「シンプルであること。これが私の仕事の基調です。私は本質的なことだけを教えるよう努めています。優れたエチュードは数多くあります。たとえばツェルニーは秀逸ですし、その有用性は疑えません。とはいえ多くの時間はかけられません。バッハに関しても同じことです。バッハのピアノ曲は、小品から前奏曲とフーガまで何でも学べばよいと思います。使える時はいつでも私はバッハを使っています。しかしここでもまた、私たちが望むほどにはバッハに多くの時間をかけられません。それでも私は最善を尽くしています。練習時間が多くとれない人にも、可能な場合はいつもバッハのインヴェンションを組み込みます」

「ピアノを始めたばかりの生徒や、まずい指導を受けてきた生徒が私に学びに来た時は、もちろん手の形から始めます。手を弧状にして、指関節(特に第一関節)を固定させるよう学んでもらいます。ピアノを離れてテーブル上で、生徒の手を形作っていきます。手ができないままでは、ピアノを実際に弾いても何にもなりません。何年も難しい曲を弾いてきて、自分がかなり上級のレベルだと思っているような生徒が、しばしば私に学びに来ます。彼らに今述べたシンプルなことを話すと、そんなの簡単だという顔をしますが、実際にやらせるとできないのです。どん底まで落ちて手の姿勢を学びなおそうという気になるまで、こういう生徒には手の施しようがないこともあります。手の姿勢の習得にどれだけ時間がかかるかは、生徒のメンタリティや手のタイプによって左右されます。生まれつき柔弱でたるんだ手の人もいますし、もちろんその場合は手を強化するのは普通の手の人より難しくなります」

「バッハ」の画像検索結果

指のアクション

「弧状の手ができるようになったら、指先を賢く動かせるよう練習していきます。そのためには強くて信頼できる第一関節が必要です。もちろん年少の生徒は指関節のアクションを身につけなくてはいけませんが、高く持ち上げすぎてはいけません。上達するにつれて、また、第一関節が固定され制御が効くようになるにつれて、指のアクションはそれほど必要でなくなります。指のアクションが減れば減るほど速さが身につきます。力は、腕の重みを指に乗せることによって得られます。軽さ・繊細さは、腕の重みを指に乗せないようにすることで得られます。腕の重みを抑えるのです」

「私は技術訓練のために教本を使うことはありません。自作のエクササイズか、いろんなところからとってきたエクササイズをやってもらっています。日々の練習には、練習を方向づける原則がなくてはいけません。原則をシンプルな形でマスターできれば、あとはそれの発展形にすぎません。オクターブや六度などの緩い手首のエクササイズは、毎日のルーチンとして行ってください。音階の練習も同じです。私はあらゆる音階練習の有用性を固く信じています。和音の練習も重要です。原則の部分で教育を受けていない生徒が、上手に和音を弾けるということはほとんどありません。そういう生徒は手首から手をパタッと振り下ろして貧弱な音を出すか、あるいは、こわばった高い手首・腕で弾いて硬質できつい音を出すかのどちらかなのです。腕の重みや指の制御の原理を生徒に理解してもらうのには、時間がかかることもしばしばです」

ペダリングの問題

「見逃されがちですが、ペダリングにもしかるべき注意を向けなくてはいけません。ペダルの踏み方を正しく理解している生徒はほとんどいません。生徒たちはダンパーペダルに関して、『強く踏む』という以外の踏み方を知らないようです。ガツンと踏み込む人もいますね。私はペダルを使う準備として、特別なエクササイズを生徒にやってもらいます。かかとを床につけ、足の前の方をペダルにつけて、メトロノームのストロークに合わせて足踏みする。これが楽にできるようになったら、一ストロークで足踏みを二回するなどして、増やしていく。このエクササイズでは、ペダルは完全に押し下げられていません。むしろほんの軽い押下にすぎません。このようにペダルを振動させることで、音にはつねに、光が揺らぐような効果が与えられます。それはとても美しいものです」

ここでアーティストはショパンの幻想曲を少し弾いて、すべて納得させてくれた。

「ペダルを適切に使うためには柔軟な足首が必要です。実際、足首も手首と同じようにしなやかであるべきです。自分以外で、こういうペダルの使い方をしている人を知りません。だから私は自分がそれを発見したかのように感じています」

「ええ、私の生徒には上流社会に属する人も数多くいます。たくさん遊びに出かけて、それでもまだ一日に二時間練習する時間があるような娘たちです。従来に比べて最近のお金持ちの人は、音楽を学ぶということに対して真面目な考えを持っている傾向があります。彼らは音楽を勉強することで自分を向上させたり、品格を高めたりできると感じているようで、教師たちを尊敬していますね。また何を試みるにも注意深く、そして上手にやろうと努力しています」

「技術の基礎は必要であり重要ですが、結局それより大事なことがあります。それはリズム感の訓練です。また、曲をどう解釈すれば優れた美しい演奏になるかの勉強です。これらと比べると技術的基礎は小さな部分しか占めていません」