31 ウィリアム・メイソン

ウィリアム・メイソン(一八二九―一九〇八)は、アメリカのピアニスト・作曲家・教師。一八三三年創設のボストン音楽アカデミーで学んだのち渡欧、アメリカ人初の学生としてリストやモシェレスに師事。五年後に帰国し、最初コンサートピアニストとして名を高めたが、音楽的な非生産的を感じ、教師・作曲家・合奏の演奏家としての活動に移行。ヴァイオリニストのセオドア・トーマス(現シカゴ交響楽団の創設者)とアンサンブル組み、十三年間で数々の世界初演(ブラームスのピアノ三重奏曲第一番など)やアメリカ初演を果たす。作曲家としてはショパン風の作品を多く残す。ピアノ学習者向けの教本も数多く著し、また各種音楽協会の総裁も複数務めるなど、アメリカの音楽発展に大きく寄与した。なお弟ヘンリーはスタインウェイに次ぐピアノメーカーとしてアメリカで知られるメイソン・アンド・ハムリンの創設者の一人。

私は以上のような経験をした何年も後に、すべてのアメリカ人巨匠ピアニストのなかでも最古参の、ウィリアム・メイソン博士に学ぶ特権を得た。それまで私はシャルヴェンカ、クリントヴォルト、ビューローを師としてヨーロッパで何年も学び、その後、教師・演奏家としてアメリカのピアノ界の一翼を担うべく母国に戻っていた。するとまもなく教育に時間が多く取られる状況になり、私は誰か巨匠の指導がないと演奏力がひどく落ちてしまうのではないかと危機感を抱いた。このような考えで私はメイソン博士を訪れたのだった。

「あなたはシャーウッド(*)に学んだのですね」

メイソンは語り始めた。

ウィリアム・シャーウッド

「シャーウッドはタッチや技術について優れた考えを持っています。そのいくつかは私に由来するものです。そんなに自分のものだと主張したいわけではありませんけどね。シャーウッドのタッチは本物です。真のタッチを持つピアニストはほとんどいません。クリントヴォルトにはなかったし、ビューローにもなかった。リストにさえなかった。まったくなかったのです。と言うのもリストは他の二人と同様、オーケストラ風の演奏を追求していたからです。しかしシャーウッドは真のタッチを持っていた。タウジヒも持っていましたね。パハマンとルビンシテインはおおよそ持っていました。教えるべきことなのにドイツでは真のタッチを教えていません。アメリカ人教師のなかで最も優秀な人たちは、この点に関してはずっと進んでいます。数年後にはヨーロッパ人もアメリカに学びに来るようになるでしょう」

これはシャーウッドの考えでもあった。

(*)ウィリアム・H・シャーウッドについては別章。

メイソン博士に最初に聴いてもらったのは、ブラームスのト短調の狂詩曲(*)だった。たまたま博士の知らない曲だった。私は途中で止められることなく、一曲通して弾いた。博士は気に入ってる様子だった。

(*)≪二つの狂詩曲≫(作品七九)のなかの一つ。

「美しい音色ですね。実に美しい。とても芸術的な演奏です。あなたはきっと、だいたいのことが自然にできるのでしょう。学んでこのような演奏ができるようになったということはありえません。それに手も立派に訓練されています。四十年教えてきましたが、これほど自然で標準的な、見事な手の姿勢をした生徒が、私に教わりに来たことはないと言っていい。で、あなたは私から何を学べると考えているのですか?」

私は自分がピアノを教えるにあたって新しい考えを求めていた。また自分の演奏力を維持したいと考えていた。そのために来たと言うと、博士はこう言った。

「ではまず私の理論を説明することにしましょう。それから一緒に何曲か勉強しましょう」

「練習の仕方を知るということの中に、すべてが詰まっています。しかしそれは教えられない性質のものです。私自身も演奏活動を十年やって初めて、その秘密を見出しました」

「練習は部分にわけてゆっくり行ってください。どの音も、弾くだけではなく、よく考えることです。ピアノの演奏には、確固たる盤石な基礎がなくてはいけません。基礎は我慢強くゆっくり練習することによってのみ確立できるものです。ゆっくりと曲を弾く指の制御が確立していないと、速く曲を弾くことはまずできません。ゆっくり練習してください。難しいところを一つ一つ乗り越えるのです。また片手づつ練習してください。『一度に一つの師団を狙え』というナポレオンの戦略は、音楽の勉強にも当てはまるのです」

「とりわけフーガを弾くときには急いではいけません。急ぐのは非常によくある間違いです。バッハでは現代の曲よりもゆっくりとしたトリルが求められます。和音は叩くようにではなく、圧をかけるように弾かなくてはなりません。ピアノ演奏で一番大事なのは音色と情緒です。新しい曲を取り上げる時は、まず数小節をゆっくり練習し、飲み込めたら速く弾くようにします。それから次の数小節を同様に練習します。最初は曲全体を一気に最後まで練習しないでください」

「生きているなかで人は大きな喜びやひどい悲しみを経験しますが、どんな経験も人を一段高めるか非人情にするかのどちらかです。これはピアノの練習でも同じで、練習のたびに進歩するか退歩するかのどちらかなのです。正しい演奏は、よく躾けられた子供の礼儀正しさと同じように、つねに正しく演奏することによって習慣的なものになります。つきあう仲間によって人が良い方向にも悪い方向にも影響されるのと同様、どんな性質・特徴の音を弾いたり聴いたりするかによっても人は影響を受けます。まじめであることがとても大事です。あなたの心・魂・自我のすべてを、自分の演奏に注ぎ込むことです」

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シューマン

博士に学んだ楽曲の一つに、シューマンの栄光の作品である嬰ヘ短調ソナタ(オイゼビウス・ソナタ)(*)がある。第一楽章の左手は、深刻で思いにふけるように。手と指は鍵盤に近づけたままにしておく。腕の重みを使うこと。右手でのオクターブのメロディはしきりに何かを哀願しているようだ。多くの箇所でタッチは弾力のあるものになる。第二楽章はとてもソフトに始まる。かすかに遠くで何かが聴こえるような感じで。それが何かははっきりとは分からないが、音楽だろうと思える程度に。この楽章のアクセントは記号が表すほど強いものではなく、相対的に強めという意味で理解しなければならない。スケルツォの第三楽章は極端なほど大げさなのものだ。強いアクセントで元気いっぱいに弾く。和音は心ゆくまで自由に威勢よく。「指の赴くままに」弾くことが必要だ。パデレフスキが完璧にやってのけることである。

(*)ピアノソナタ第一番嬰ヘ短調(作品一一)。原著ではヘ短調とあるが嬰ヘ短調の誤り。初版に「フロレスタンとオイゼビウスからクララに捧げられる」と記されている。なおフロレスタンとオイゼビウスとはシューマンが作曲にあたって作り出した架空の人物で、彼の情熱的な面、冷静な面をそれぞれ表していると言われる。

私たちは次にグリーグの協奏曲(*)の練習を始めた。この作品のペータース(*)版はグリーグ自身が校訂したものである。最初のレッスンで、メイソン博士は二台目のピアノを使って伴奏をつけてくれた。私の演奏に満足しているようで、どこも直されなかった。ただしもう少しテンポを速くしてもよいとだけは言われた。

「あなたは丁寧かつ正確に弾いているし、それを台無しにしようというつもりはないのですが、リスクをとることも必要です。しかも最初からです。あなたの演奏を聴いていると、とても慎重な人物に育った青年のイメージが頭に浮かんできます。人生で勇気を持って一歩踏み出すチャンスが訪れたのに、怖がって尻込みして動けない。そのうちもっと勇敢な人が割り込んできて、その青年のチャンスを奪って行くのです」

(*)ピアノ協奏曲イ短調(作品一六)は、グリーグ唯一の協奏曲。
(*)ペータースは、ドイツの楽譜出版社。

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グリーグ

私たちは緩徐楽章 [第二楽章] を長く論じあった。

「この楽章では二番目のソロの終わりで、ゆったりとした夢のような効果を作ることができます。ここに留意して下さい。それに続く一連の和音では、芸術的にペダルを使うことを意識して下さい。第三楽章は生き生きとしたリズムがなくてはいけません。オクターブのパッセージのカデンツァは、リズムグループごとに練習するとよいでしょう。最後のアンダンテは速く弾くことです」

三回目を弾いた時には、私の手にはこの協奏曲が十分に身についていた。メイソン博士は彼ならではの伴奏をした。演奏が終わると博士は、私が叙情性と情熱を曲に注ぎ込んで、演奏をうまくまとめたことを褒めてくれた。これほどの巨匠に指導される時に、演奏に炎や情熱がこもらないはずがない。

メイソン博士は実に啓発的な教師だった。良いところをすぐに見つけて褒めてくれると同時に、問題点を修正しようとする注意を怠らなかった。彼の批評には最高の価値があった。というのも彼には幅広い経験があったし、音楽や音楽家を広く知っていたからである。一番良かったのは、彼が真のアーティストだったことである。彼はいつでも自分の演奏によって教えることができた。いつも励ましてくれる教師、常に教わることの多い教師であった。