1 イグナツィ・ヤン・パデレフスキ

イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(一八六〇―一九四一)は、ポーランドのピアニスト・作曲家・政治家。ワルシャワ音楽院を卒業後、ベルリンで作曲を学び、ウィーンでレシェティツキに師事。その後コンサートピアニストとして世界各地で人気を博した。ポーランドの独立運動にも加わり、駐米大使・外相・首相を務めたこともある。ショパンの研究家としても知られる。音楽家・政治家として高い評価を得て、各国から数多く叙勲されている。二十八人のうち唯一インタビューが実現しなかった人である。代わりにパデレフスキに直接指導を受けた二人のピアニストの言葉を通じて、彼のピアノ観が明らかにされる。「パデレフスキ」の画像検索結果

完成されたピアニスト

現代で最も完成されたピアノの達人の一人は、イグナツィ・パデレフスキである。パデレフスキのアメリカ初のシーズン中に、その演奏を聴く特権にあずかった人は、自分の経験を決して忘れることはないだろう。このポーランド人アーティストは、旧大陸を征服したのと同じように、新大陸を征服した。その名は東海岸から西海岸まで知られる身近なものとなった。アメリカ中を巡った音色の貴公子は、いたるところで歓迎を受け、称賛された。各地を訪れる毎に、彼の素晴らしい芸術に対する称賛はますます深まった。

パデレフスキがなぜ聴衆の心を掴むのかということがしばしば問題となる。彼の演奏は、音楽を解する人もそうでない人も動かす力があるが、その力はどこから来るのか。パデレフスキが演奏するときは、いつも同じように聴衆は静まり返っていた。魔法にかかって恍惚としていた。物事の表面しか見ない人は、聴衆がそうなるのは彼の外見や振る舞いによるところが大きいと考えた。しかし物事をよく考える人は、もっと深い部分を見ている。

そこにいたのは、技術・解釈にかんして徹底的に修練を積んだ達人である。自分にとってのバッハ、ベートーベン、ショパン、シューマン、リストを確立している人物である。

技術力・解釈力それ自体が、聴衆に魔法をかけるのではない。パデレフスキと同じほど技術力・解釈力が備わっているアーティストは他にもいるからだ。結局よく分析してみると、パデレフスキが聴衆を虜にしたのはその素晴らしい音色――多様性と色彩に富み、光と影の無限のグラデーションで生き生きとした音色――によるものだったことは疑問の余地がない。

虹のようなカラーグラデーションの背景素材

パデレフスキは同じ作品を頻繁に繰り返した。しかしこれは批評家以外の人にとっては問題ではなかった。私たちが≪半音階的幻想曲 [とフーガ] ≫ [BWV903] を二十回聴いたとして、何か問題があるだろうか。彼の手にかかってはこの曲は、人生と運命についてのまぎれもない独白となった。繰り返されたびに、この曲は新しい意味と美を帯びた。

パデレフスキは、シューマンの≪パピヨン≫ [作品二] やショパンのノクターンを詩的に把握し、これらの作品を愛と恍惚の幻想詩にした。彼以上に素晴らしく曲を把握できるピアニストは今まで誰もいなかった。彼の弾くリストの≪ [ハンガリー] 狂詩曲≫(特に第二番)の、途方もない力や効果を忘れた聴衆はいないだろう。

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アントン・ルビンシテイン

パデレフスキが若い盛りに初めてアメリカに来たとき、彼は私たちに教えてくれた。完全を極めた達人の手にかかれば、ピアノが実際にどれほど高尚な楽器であるかということを。パデレフスキは、ルビンシテイン(*)の繊細さと力強さを持ちながら、しかも彼以上に正確な技術で、ピアノに語らせることができるということを、私たちに教えてくれた。強い情動。心に訴えるような内省的な音色。詩的で美しい解釈。彼はこれらによって、私たちの魂そのものを射抜くことができるということを証明した。

(*)アントン・ルビンシテイン(一八二九―一八九四)は、ロシアのピアニスト。ペテルブルク音楽院の創設者。世界的なピアニストだったが、しばしば音を外していたという証言も多く残る。

パデレフスキは作曲家・ピアニストとして知られている。ピアノを教える時間が見いだせることは稀だった。ポーランドのピアニスト・教師であるアントワネット・シュモフスカ夫人(*)は、ひところパデレフスキの「唯一の門下生」と言われた。ポーランドの作曲家・ピアニスト・教師、ジグムント・ストヨフスキ氏(*)も彼のもとで勉強した。二人とも教師としてのパデレフスキの価値について証言してくれた。

(*)アントワネット・シュモフスカ(一八六八―一九三八)は、ポーランドのピアニスト。一八九〇年から一八九五年までパデレフスキに学んだ。
(*)ジグムント・ストヨフスキについては別章。

弟子の証言

シュモフスカ夫人は言う。

シュモフスカ夫人

「パデレフスキはレガートを非常に重視していました。また何を弾くにせよ、深いタッチと、明瞭かつ豊かな音色で、ゆっくり勉強することを望んでいました。手の力をつけるためにエクササイズを使っていました。このエクササイズでは、手首をかなり低い位置で固定し、手をピアノに押しつけます。この状態で、指で各キーを弾いて、できるだけ大きな音を出すようにするんです」

「パデレフスキは、音階とアルペジオをアクセントをつけて練習するようにアドバイスしていました。たとえば三番目の音ごとにアクセントをつけるなどです。こうすると各指で順繰りにアクセントをつけて強く打鍵する練習になり、均一なタッチができるようになっていきます。三度や六度など重音のパッセージは、分割してそれぞれレガートのタッチで半分ずつ練習します。オクターブは、手首を脱力してスタッカートのタッチで練習します。準備としてまず親指だけで練習します。親指はいつも、関節を丸くして曲げておきます。親指は、指先がキーに触れるようにします。これは他の指と高さの差が出ないようにするためです。パデレフスキはこの点に大変こだわっていました」

「パデレフスキの教育法を話すの難しいですね。作曲家や作品によって、教え方が違うからです。音色にかんしては、彼はありとあらゆる音を出すように要求します。強いコントラストが好きな人でした。コントラストはいろんなタッチだけでなく、巧みなペダリングによっても生み出されるものです」

「パデレフスキとのレッスンは、やや不定期のものでした。彼がパリに来るときはいつもレッスンをつけてくれました。何ヶ月も離れていたあとに、かなりの週パリにいるという感じで、その時によく教わりました。レッスンは私のいとこの家でやっていたのですが、夜十時頃など遅くに始まり、深夜まで続くということもしょっちゅうで、日を跨いで午前一時まで続くこともありましたね」

「教師としてのパデレフスキは、ピアニストとしてのパデレフスキと同じほど優れていました。彼は骨を折ることを厭わない人です。その言葉は明晰で鋭いものでした。私が取り組んでいるパッセージや曲全体を、自分で演奏して説明してくれることもよくありました。彼は細部まで仕上げさせるのに労を惜しみません。ときどき皮肉っぽくなることもありましたが、とても粘り強くて心の優しい人です。教えるのに夢中になって、時間が過ぎるのを忘れることもよくありました。しかし一般的に言って、彼は人に教えたいとは思っていません。教える時間も当然ないのですけどね」

ストヨフスキ氏は、このポーランド人ピアニストとのレッスンについて訊かれてこう述べた。

ストヨフスキ

「パデレフスキはとても優れた教師です。教師のタイプとして、自分がわかっていないことや自分でできもしないことを教えようとする人がいます。一方で、自分で演奏できても、それをどのようにして演奏しているのかを説明できない人もいます。パデレフスキはこのいずれでもなく、自分で演奏もできるし、どう演奏しているかを説明することもできます。彼は自分がねらっている効果がどのようなものかを完全に理解しているし、また、その効果の生み出し方もわかっている。その効果が生まれる根底にあるものを知り尽くしているのです。彼はそれを生徒に、非常に正確に、詳細にわたって、説明することができる。そして自分で実演してみせることもできるのです」

「あなたが正当にもおっしゃるように、音の質の高さや多彩なグラデーションは、パデレフスキの演奏の特質です。これらは耳の助けを借りて習得しなくてはいけません。耳は、音の陰影の有無や音の良し悪しを試験・判定するものです。質の高い音や多彩な音をめざすにあたって、パデレフスキは生徒に、弾いて出している音をよく聞きなさいとアドバイスしています」

音の明瞭さは大原則

「ある人がピアノを弾いているとしましょう。その人は自分の指が奏でる音楽の美しさで、心が満たされています。だが実際には虚しいことに、求められる効果を生み出していると思っているのは本人だけ。パデレフスキならその人にこう言うでしょう。『きっと君はこの作品の美しさを感じているんだろうけど、君自身が効果的に弾いていると思っていても、その効果は私には何ひとつ届いて来ない。すべてをもっと明瞭に伝えないといけない。発音がはっきりしていることは最も重要なことだよ』と」

「それから、どうすれば明瞭性が得られるのかを教えるでしょう。指を固定させる。第一関節で負けないようにする。パデレフスキの技術エクササイズのなかに、指を上下運動で鍛えるものがあります。私も教えるときに使っているものです。手首をかなり低くして、それをピアノに押し付けます。最初は単純な五指のフォームでやって、これに慣れたら、手の姿勢はこのままでツェルニーの作品七四〇 [五十番練習曲] がいくつか演奏できます。この練習をするときは、手がおかしくならないようによく気をつけないといけません。この練習には椅子を低くする必要があります。低く座ることは、重みをのせた演奏の助けになります。パデレフスキ自身がピアノの前でどれほど低く座っているかを、私たちはみな知っています」

「パデレフスキ」の画像検索結果

「技術教育でどんな教材を使っているかをお尋ねですね。ツェルニーの作品七四〇です。全部をやる必要はありません。三つの巻(*)で十分だと考えられています。クレメンティの練習曲集≪グラドゥス [・アド・パルナッスム] ≫も使います。音階は多様なアクセント、リズム、強弱で練習しなくてはいけないのは当然です。アルペジオも同じことです。役に立ちそうな音型のアルペジオを、いろんな曲から取ってくるのもよいですね」

(*)当時六巻に分かれていたものが流通していた。

誰もが知るように、正しいピアノ学習にはすべて、基本原理が存在している。ただし、達人たちがそれをどのような方法で教えるかは、人それぞれである。パデレフスキはレシェティツキの下で学び、彼から教わった原理を少しアレンジし、生徒たちに教えている。一方、レシェティツキの予備教育を担当する教師たちは、すべての生徒に同じような手順を踏ませ、同じような準備をさせる。こうした準備が必要でない生徒もいる。

指づかい

「パデレフスキがとてもこだわっていたのは指づかいでした。彼はよく、曲全体に対して指づかいを入念に書き込んでいました。そして指づかいを一度決めたら守るんです。彼は手にとって一番快適な指づかいを選ぶのが良いと信じていた。心地よい指づかいは長い目で見ると、パッセージをいちばん効果的にしてくれます。彼は演奏者の指づかいにとても敏感でした。指に応じて違った音質になると信じていました」

ビューロー

「私がノクターンを弾いているときでしたが、パデレフスキは部屋の反対側から私に向かってこう言いました。『なぜ君はそこをいつも四の指で弾いているんだい? 効果的じゃないから、私にはお見通しだよ』と。彼は観察眼に長けていて、他の人なら気づかないような細いところまで気付きました。どんなことも彼の目を逃れられません。この能力が音楽に向かった結果、彼は極めて注意深くて勤勉な教師になったのです。といっても指づかいのことでは、パデレフスキは演奏者がいちばん楽にこなせるような指づかいを選ぶように努めていました。ビューロー(*)の校訂版は学識を示すものである一方、厄介なうえ、知識のひけらかしになっているきらいがあります。ビューロー版が示しているのは、凝りすぎるというドイツ人の癖です。これはあまりに行き過ぎると、明白な欠点になります」

(*)ビューローについては別章。

適切な体の動作

「適切な体の動作《モーション》も、パデレフスキが重視している原理です。彼は不必要な動きはすべてなくすのがよいと信じているうえ、体全体の自由としなやかさを求めます。体の動作は、ほかの技術面と同じくらい注意して勉強すべきです。彼がよく腕を大きく動かしているのは確かです。しかしそれはどれも考え抜かれたものであり、深い意味があります。夢中になって、スタッカートを強打してとっさに指を持ち上げることもある。が、次の瞬間、彼の手は次のフレーズに向けて静かな姿勢になります」

効果を学ぶ

「自分の音にしっかり耳を傾けるという、先に話した件ですが、これは多様な音、効果的な音を追求している演奏者にとって、極めて役に立つことは間違いありません。音を出すということのありかたは、その音がどんな空間を満たすかによって当然異なってきます。コンサートでは、自分が奏でる音がフットライトを越えて会場に伝わっていくように、また、タッチ、アクセント、コントラスがはっきり伝わるよう努めなくてはいけませんが、これはホールの規模が大きければ大きいほど一層必要な努力です。このような演奏環境に慣れるために、スタジオではピアノの屋根を開けずに練習するという方法があります。必要な音量を出すために、強いタッチが必然的に求められるというわけです」

解釈

「偉大なアーティストが高尚な作品を演奏する場合、流麗な即興のように聴こえるはずです。アーティストが偉大であればあるほどそうなります。とはいえここまでたどり着くには、作品を極細部まで緻密に吟味する必要があります。楽曲の解釈にはまずインスピレーションがあるとしても、そのあとの細部はすべて苦心して読み解いていくわけです。これが最終的には、理想を完璧に体現した演奏へと花開きます。パデレフスキは一つの作品を――彼がその作品のなかに見出している様式と精神によって――いつも同じように演奏します。彼はこんな話をしてくれたことがあります。ある日のリサイタル終了後、とある女性が彼にこう言ったそうです。『パデレフスキさん。今日の演奏は、私が前に聴いた感じとは違っていましたね』。『実は同じように弾こうとしたんですけどね』とパデレフスキは答えた。『いえいえ、いつも同じように演奏しなくても。機械ではないのですし』と女性は言った。この返事が彼のアーティスト魂を掻き立てた。『私はアーティストですから、何度弾いても同じようでなくてはいけないんです。私はその曲の意味を考え抜きました。ですから私は演奏するたびに、出来る限り自分の理想に近いものを表現する義務があるのです』」

「パデレフスキはえらく太っ腹な人でしたが、これは教えるときも同じでした。時間をまるで気にしなかった。私は規定の三十分のレッスンのために彼のところに行くのですが、レッスンは終わりなく続いたものです。疲れ果ててやっとやめるという感じでした。私は彼のレッスンを何度も受けました。とりわけ、ある夏のことは自分の記憶のなかで際立っています。何しろその時はほぼ毎日レッスンでしたからね」

パデレフスキが書いたピアノ曲の比類なき美しさについて語るなかで、ストヨフスキ氏はこう述べた。

「この曲がピアノ教師や生徒のあいだで知られていないのは誠に嘆かわしい。現代に、パデレフスキのピアノソナタと比べられるようなピアノソナタが他にあるでしょうか。私はひとつも知りません。歌曲も実に見事なものです。私は彼も好きですし、彼の楽曲も好きですので、彼の作品をもっとよく知ってもらうために、自分の力が及ぶ限りのことをしているところです。このことにかんしては先駆的な仕事が必要です。私は喜んでその一翼を担おうと思います」