22 ヴィルヘルム・バックハウス

ヴィルヘルム・バックハウス(一八八四―一九六九)は、ドイツ出身のピアニスト(のちスイスに帰化)。ライプツィヒ音楽院で学ぶ。弟子をとらないダルベールに高く評価され、例外的に師事することができた。第四回アントン・ルビンシテイン・コンペティションのピアノ部門で優勝(二位はバルトーク)。いくつかの音楽院で教鞭をとったのち、演奏活動に専念し、世界各国を廻る。ベートーヴェン弾きとして知られた。一九五四年には日本公演も行っている(皇族の前でも演奏している)。死の直前まで演奏活動を続けた。

技術上の問題を論ずる

「私がピアノから引き出しているような効果を、私が実際どのようにして生み出しているかというご質問ですね」

若手ドイツ人アーティストのヴィルヘルム・バックハウスはその時、ニューヨークのリッツの広々とした個室でくつろいでいた。そばにグランドピアノがあり、ピアニストは話しながらときどき鍵盤上で軽く指を滑らせ、技術的なポイントを実例で説明した。

「聴くこと・批判すること・判定することによって、効果を生み出しているといったところでしょうか。問題の箇所を繰り返し練習して、狙い通りの効果を出せるようにする。そうなるとその後は、まったく同じ効果が欲しい場合に意図的にその効果を生みだすことができます。しかし時には変化が欲しいし、また別の効果を試したくなります」

「一般にアマチュア演奏家は椅子に高く座りすぎる傾向がありますが、私はほとんどのアマチュアよりも低く座っています。ですからピアノで使っている椅子にはこだわりがあります。少し修理する必要があって、ちょうど持ち出されたところです。そうでなければ私の椅子がどれほど低いかをご覧いただけたのですが」

「それから私は古いタイプの人間でして、音階やアルペジオの練習を今もなお信じています。現代のピアニストのなかにはこういう練習をしない人がいるみたいですが、私は非常に重視しています。といっても、音階練習のときに必ずしもすべての調で行うわけではありません。一度にいくつかの調を選択して取り組むのです。最初は馬鹿げたほど単純な形から開始します。特にアルペジオのために、親指を手の下にもぐらせたり手でまたいだりして何度か上行・下行の練習をします。今触れてきた原理は難しいポイントですが、この練習を少しすれば、手はまた元の調子に戻ります」

ピアニストは鍵盤の方に向きを変えて、ポイントをはっきりと説明してくれた。

「ご覧の通り、私は鍵盤に対してかなり手を傾けています」

彼は言った。

「しかしこの斜めの姿勢のほうが普通の姿勢より快適なのです。手はアルペジオの間隔に合っているし、音階での親指の動きにも合っています。肘を突き出しすぎだと考える人もいるでしょう。しかしそれについては私は気にしていません。この方法で音階が滑らかで均等になればいいのです」

テクニックの全面的な見直し

「私は週に一度か二度、自分の技術を全部見直さなくてはいけません。すべてがうまくいってるかを確かめるためです。もちろん音階やアルペジオも見直しの対象になり、私はこれらをレガートやスタッカート、あるいはそれ以外のタッチで練習します。しかしたいていはレガートです。レガートは他よりいくらか難しく、それに美しいものですからね」

「おそらく私は生まれつきの技術と言えるものを持っています。つまり技術に対する自然な適性があって、その習得が用意なのです。技術はずっと私とともにあるのです。ホフマンやダルベールもそういう生得の技術を持っています。技術がなくならないよう、技術練習をする必要があるのはもちろんのことです」

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ヨゼフ・ホフマン

「私はピアノを深く愛しているので、ピアノを弾くことに関するどんな部分もおろそかにできません。万全なコンディションを保っていられるかどうかは、アーティスト自身と聴衆に依っています。と言うのもアーティストは聴衆に対して最高なもの以外は提供してはいけないからです。私が言いたいのは、技術練習を他の人ほど懸命に行う必要は私にはないということだけです。それでも技術の練習は毎日やっています。付け加えれば、私は自分が短時間で多くのことができることに気づいています。巡業中は一日一時間を練習に割いています。それ以上は練習しません」

バックハウス氏は続けて指のアクションの話をした。

「私は必要だと思ったときにはいつでも指を上げます。それ以外では上げません。ブライトハウプト(*)をご存知でしょうか」

バックハウスは実例を示しながら言った。

「彼はこのような、五指を鍵盤につけたままそのうち何本か持ち上げるエクササイズを、技術練習として認めていないのですが、私は認めています。メトロノームについては、リズム感に欠ける人がそれを養うものとして私は認めています。自分自身でも使うことがありますが、それは機械的なリズムと音楽的なリズムとの差異を確認しているだけのことです。どうしても両者がいつも同じとは限りませんからね」

(*)ブライトハウプトについてはテレサ・カレーニョの章を参照。

「このブラームスの技術エクササイズ集(*)ご存知ですか。私が非常に重視しているものです。おわかりかと思いますが、私はいつも持ち歩いています。優れものですよ」

(*)ブラームス≪五十一の練習曲≫のことと思われる。

「オクターブについてお尋ねですね。今となっては私にはオクターブは容易だというのが本当のところですが、難しかった時期のことを覚えています。継続的に練習するしかありません。小さな手の人にとって一層難しいのはもちろんのことです。だから手に負担をかけて痛めないように注意する必要があります。一度の練習は短くていいですが頻繁にやってください。そうすれば半年後には目覚ましい効果が現れるでしょう。ボートを漕ぐと手首が発達するのでオクターブ演奏に役立ちます」

「どうやったら力のある音を出せるのかをお尋ねですね。とても難しい質問です。あっという間に泳ぎを覚える子もいれば、泳げるようになるまで長い時間がかかる子もいます。これはなぜでしょうか。すぐ覚える子は自然にできるようになる。いわばコツを知っているのです。ピアノで求められる力についても同じことです。これは断じて体格とか馬鹿力によるのではありません。もしそうだとしたら十分に力のある音を出せるのはアスリートだけということになってしまいますね。そういうことではなく、これは『コツ』なのです。あなたがおっしゃるようにリラックスの結果といったほうがよいかもしれません」

競泳のイラスト(男性)

「速さの話をしましょう。速く弾けるように特別に訓練する人もいますが、私はしていません。ものすごい速さで練習することはめったにありません。それをやると音が明瞭でなくなります。私はゆっくり弾く方が好きです。はっきりした良質の音になるよう最大限に注意しながら弾くのです。この線で進んでいけば、速く弾きたい時には速く弾けることが私にはわかっています」

「私は教師ではありません。教師になろうという望みを持っていません。教える時間がないのです。日程は練習やコンサートで埋まっています。ふつうは教育と演奏活動を両方とも首尾よくこなすことはできないのではないでしょうか。私が教えるようになれば、他人の演奏を分析・批判する癖や、弾き方を説明する習慣がつくことは間違いないでしょう。しかし私は批評家でも教師でもありませんので、自分がどのように効果を生み出しているか必ずしもわかっていません。ドイツの古歌を引用すれば、私は『鳥が歌うように』演奏しているのです」

現代のピアノ音楽

「あなたの国のマクダウエルは素敵な楽曲をいくつか書いていますね。ニ短調のピアノ協奏曲(*)には親しんでいますし、小品やソナタなどでよく知っているものもあります。現代のピアノ協奏曲の数は本当に少ないですね。ラフマニノフや今触れたマクダウエル。ルビンシテインのニ短調(*)のものや、サンサーンスのト短調(*)のもの。ほかナイツェル(*)の協奏曲もありますね。とても興味深い作品です。アメリカで演奏されたことはないと思います。私はヨーロッパで演奏したことがあります。今行っているツアー中にアメリカでも紹介しようと思います。素晴らしい作品で、作曲家の最高の思想・感情・力量が込められています」

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オットー・ナイツェル

(*)マクダウエル:ピアノ協奏曲第二番ニ短調(作品二三)
(*)ルビンシテイン:ピアノ協奏曲第四番ニ短調(作品七〇)
(*)サンサーンス:ピアノ協奏曲第二番ト短調(作品二二)
(*)オットー・ナイツェル(一八五二―一九二〇)は、ドイツで活躍したポーランド出身のピアニスト・作曲家・教師。リストの弟子。サラサーテの巡業に同行したこともある。

ブラームスの協奏曲

バックハウスはこのインタビューのすぐ後、ニューヨーク交響楽団とともにブラームスのピアノ協奏曲第二番を演奏した。私はその感動的な演奏を聴きながら、ベルリンの学生時代の懐かしい出来事を思い出していた。

それは特別なコンサートだった。そのとき高名な招待客として独奏を務めたのは、偉大なるブラームス本人だったのだ。ハンス・フォン・ビューローがオーケストラを指揮していた。ブラームスは自分のピアノ協奏曲第二番を弾いた。ハンブルグの巨匠は、現代的な意味におけるヴィルトゥオーゾではなく、タッチはいくらか硬くて乾いていた。しかしその熟練の演奏は称賛に値した。手が大きくて髭の長い彼がピアノに向かって座る姿は、堂々たるものだった。ブラームスの演奏が聴衆のあいだに熱狂を巻き起こしたことは言うまでもない。拍手喝采はとどまることを知らなかった。最後に大きな月桂冠が彼の頭上に戴せられた。私は数日後、バックハウス氏にこのエピソードを話した。

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ブラームス

「私がブラームスの協奏曲第二番を初めて弾いたのはウィーンで、そのときはハンス・リヒターの指揮でした。私はリヒターから、この作品に取り組むよう打診されていたのです。アメリカ人は今、ブラームスを尊敬・評価し始めています。ここアメリカでもブラームスは大流行となるはずです」

「こういうピアノと管弦楽のための作品に取り組む場合、私は自分のパートだけではなく他のパートもすべて知る必要があります。他の楽器が何をしているのかを知らないといけません。協奏曲を練習する時はいつもオーケストラの総譜を使い、全体を見渡せるようにしています」