13 ハロルド・バウアー

ハロルド・バウアー(一八七三―一九五一)は、イギリス出身のピアニスト・教師。少年期にはヴァイオリニストとして活躍したが、パデレフスキの勧めでピアノに転向。ロシアを皮切りに欧米各国を演奏旅行し、名声を高めた。ヴァイオリニストのジャック・ティボーとも共演している。アメリカでブラームスのピアノ協奏曲第一番を初演したのはバウアーである。後年はマンハッタン音楽学校で教鞭をとった。彼を記念して「ハロルド・バウアー賞」が創設されている。

ピアノの音色の問題

幅が狭くて交通量の多い、パリのとある道路沿い。昔のパリの中心部に奥深く埋もれるように、古くからの家が建っている。ここにはピアノの巨匠、ハロルド・バウアーが暮らしている。騒々しい商業地区の道路に沿って建ち並ぶ、魅力のない建物の裏手に、高い芸術的趣味を持つ人たちが住んでいることなど、パリに不案内な人は想像もできないだろう。建物への入り口はどれも似たり寄ったりで、壁にスリットを入れただけのように見える。

私はある扉の前で立ち止まって中に入った。石が敷かれた庭を横切り、石製のらせん階段をのぼると、そこにある素朴な木製の玄関のベルを鳴らした。私はアーティストの居所へと促された。いったん中に入ると、言葉を発することを抑えたい気持ちになった。何か喋ってしまうと、魔法の杖を振ったかのように、自分が目にしているものが消えてしまう気がしたからだ。私はほんの少し前、埃っぽくてむさ苦しい道路にいたのではなかったか。それなのに今は、平穏と静寂に包まれた美しい部屋の中にいて、高価だがとても優美で落ち着いた調度品に囲まれている。大きな窓からは見事な庭が見える。この庭によって、この住まいはさらに安らげる場所となっていた。

バウアー氏は向こうの音楽サロンでレッスンをしていた。ときどきショパンのソナタからお馴染みの主題が聴こえていた。レッスンが終わると、彼は部屋から出て私のところにやって来た。

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「ええ、これは古くからある家の一つです。こういう感じの家はパリでは急速になくなりつつありますね」

彼は私の言葉に対してそう答えた。

「残ってる数は比較的少ないです。この建物は間違いなく、少なくとも築三百年になります。パリのこの地区では、たとえばバック通りなどで、古くて近づきがたいような外観の建物を目にすることができます。中は壮麗で宮殿そのものです。裏が見事な庭になっていることもあるでしょう。しかし何もかもが隠されているので、壮麗なものや美しいものがそこに存在しているということすら、外側からは考えられません」

その後、彼に連れられて音楽室に行き、一時間話した。

「今日はどんなことをお話していただこうかと、ここに来るまで運転しながら考えていたんです」

私はそう切り出した。

「あなたは雑誌などで、いろんなテーマについてすでに話していらっしゃいますからね。そこで考えたのですが、バウアーさん自身がピアノでどのようにして美しい音を出せているのか、また美しい音の出し方を他の人にどう教えているのかを訊いてみようと思いつきました」

バウアー氏は少しだけ考えてこう言った。

「私が美しい音を出せているのかはよくわかりません。実際のところ私は、ピアノの一つのキーを弾いただけで美しい音が出るとは思っていません。ピアノの音が美しくなることがあり得るのは、適切な位置においてのみ――つまり他の音との関係においてのみです。あなたと私。音楽について何も知らない通行人。この三者それぞれがピアノのキー一つをタッチするとします。するとキーは同じような音を出すでしょう。誰が弾いても同じです。これはピアノの性質からそうなのです。美しい音というのは、二つ以上の音を続けて弾くときに生まれるものです。これは打鍵の強さの違いによるものであり、これが音の多様性を生じさせるのです。すべて同じような音は、音として死んでいて退屈なものです。多様性こそが命です。話し声でもそうです。仮に誰かが一本調子な喋り方や読み方をしていると、死ぬほどつまらないでしょう」

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音の多様性

「ところで歌手やヴァイオリニストは、単音を様々に変化させて美しくすることができます。彼らの場合、たとえ僅かでも音のニュアンスを変えずして、一つの音を奏でることはできないからです。このため単音が表情豊かなものになる。しかしピアノではこんなことはありえません。単音に色彩を付けることはできないのです。とはいえピアノでも、音が連続していれば、音と音との差異や関係を通じて、各音にカラーを出すことができます。他方、どの音であれ、それが適切な位置にあれば――それがどれほど刺々しい音だとしても――美しいと言えます」

「歌手が情熱的なフレーズを歌う時、感情(擬似的感情)がこもりすぎて崩れた声になってしまうこともあるでしょう。そうなってしまった音符の部分だけとってみれば確かに美しいものではないですし、不協和音ですらあります。しかし私たちはそんなふうには思いません。音の背後にある意味によって感動させられるからです。だからピアノにおいても、単音で鳴っている場合はきつくて不快に聴こえる反面、フレーズの一部として他の音との関連にあっては美しく聴こえるような一音があります。なぜならそれは正しい意味と効果を聴き手に伝えているからです。こういう次第で、ピアノにおいて『美しい音』は、音同士の関連のなかで生じるものなのです」

「よくある問題として、一般にピアノ教師やピアニストがピアノという楽器を理解していないということがあります。歌手・ヴァイオリニスト・フルート奏者・ドラム奏者はそれぞれ自分の楽器がわかっています。しかしピアニストはわかっていない。ピアノには押し下げるキーしかない上、それがすぐ手もとにある。だから演奏家はわざわざそれ以上のことに手間をかけようしない。私に学びに来る人たちがこの難点を避けられるように、私はキーメカニズムの完全な模型を作ってもらいました。これです。キーにどうタッチしたかによって、毎回結果が異なるのがおわかりでしょう。ピアニストはピアノの中を覗いてその構造を学ばなくてはいけません。キーに触れた時に中で何が起こってるのかを知ることは不可欠なのです」

「おっしゃるとおり、ピアノを教えるメソッドには優れたものがたくさんあります。しかし私が思うに、メソッドは長くて骨の折れるものになりがちです。それでいて肝心な点には手が届いていない。ピアニストは長年にわたって練習し、試行錯誤した後に、そうした要点にたどり着くかもしれません。しかし多くの時間は無駄な苦労に費やされることになります」

「私の場合、必要に迫られて、急いでピアノの力をつけなければなりませんでした。何年も前にヴァイオリニストとしてパリにやって来たのですが、当時の私はヴァイオリンでは自分は芽が出ないように思いました。ですが優れたヴァイオリニストやチェリストとの合奏の仕事の機会があって、このためにピアノの力を可能な限り早く身につけようと思い、練習し始めたのです」

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「私は自分が知っているピアニスト全員――相当な数にのぼりました――にどうすれば良いかアドバイスを求めました。立派な演奏を望む以前に、技術だけに何ヶ月もかけなければいけないと彼らに言われましたが、私は、そんな時間はないんです、と返した。それで私は、自分が必要な効果を編み出す訓練に走りました。鍵盤上で手がどう見えるかは、私には問題ではなかった。指が曲がっていようが伸びていようがまっすぐ立っていようがお構いなしです」

「間もなく、求めた効果を生み出せるようになった。それが私の望んでいる効果であるということを、聴き手に信じさせることもできました。手や指の姿勢については、後になって時間の余裕ができた時によく考えました。しかし思うに、核心をつかないような表面的なことに無駄に時間が使われすぎなのは間違いありません」

「たとえば、音階を均一に弾けるようになるまで何年も努力するということがありますが、私はこのようなやり方が良いとは全然思えません。音にしてもリズムにしても、音階がいつも均一であるべきだと私は考えていないのです。未熟な初心者が音階を弾くとこんな感じです」

バウアーはそう言うと、ピアノでその実例を示してくれた。音がすべてぼやけていて他の音と混ざっているような音階の弾き方だった。

「いわゆる『正しい訓練』を一年積んだ後では、こういうふうになります」

彼はそう言って再び実演で説明してくれた。今回は指一本で立て続けに音を出していて、ひとつひとつの音が目立つ弾き方だった。

「私の考えでは、このような教育は誤りです。それだけでなく確実に毒になるものです。そう、毒なんですよこれは!」

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「あなたは音階の練習を認めていないということですか?」

「いえ、もちろん音階はやってもらいます。親指を手の下にもぐらせたり手でまたいだりする練習になります。とは言うものの、私は均一で単調な音階を望んでいません。私が求めるのは、変化に富んで生命に満ちた音階なのです」

「解釈について言えば、音やリズムを豊かに変化させて演奏するのがよいでしょう。手短に言って、表現は『大きな音で』『柔らかく』『早く』『遅く』の四つによってなされます。しかしこの大まかな区別のなかにも、無限の陰影とグラデーションがあるのです。その上にピアニストの個性も入ってきます。変化に富むこと。人とは違っていること。これらは極めて重要なことであり、それは演奏の命なのです」

「私は来シーズン、アメリカに行きます。その後はオーストラリアです。このためこれから長い間、パリの自宅を離れることになります。今回のインタビューの記念にこの写真を差し上げます。この部屋でピアノの前に座って最近と撮ったばかりのものです。左の大きな窓から陽が強く差し込んでいます」

これに続く別の機会に、バウアー氏は自身の芸術について、さらにいくつかの側面を語ってくれた。

「すでにご承知のように私は、曲自体とは別のところで苦労して練習しなければならないような、いわゆる『ピアノ・テクニック』を信じていません。そのような練習に多大な時間を割くことに意味があるとは思えません。やっても時間の無駄で、どうにもならない感じがします。たとえば私は、音階をまったく均一に弾く努力を良しとしません。音階は変化に富み、生命に満ちていなくてはいけないのであり、決して『均一』であってはいけないのです」

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「まったく均一な音階は死んでいます。命がなくて、機械的なものです。音階に『均一』という語を当てはめてもよいのは、そのリズム的特性に関してのみです。しかしこの意味においてさえ、美しい音階にはいくらか変化があるものです。そのため、音であれリズムであれ、まったく均一になるということは決してありません」

「新しい曲をとりあげるとき、最初にその技術的な面に取り組むというやり方もよくないと思います。私の場合、最初にその曲の音楽的な面を学びます。この曲の意味は何だろうか。どのような考えを伝えようとしているのか。作曲家がこれを書いた時、心の中には何があったのか。このようなこと考えます。言い換えれば、その曲全体としてのイメージを十分に膨らますという事です。これができて初めて、細部を学び始めることができるのです」

「これに関して、ラスキン(*)が『近代画家論』で述べていたことは興味深かった。彼の論述はこれまで反駁されたことがないと思います。その内容は、ラファエロ(*)、コレッジョ(*)などイタリアの大画家は、――デッサンについて成熟し完成している一方で――未熟で不完全な絵や習作を色付きでたくさん残しているというものです。これが示しているのは、彼らが白と黒の完全なデッサンを考える以前に、色に関して数多くの試行錯誤や研究をしていたということです。彼らは芸術的な思想を、技術的な細部より優先させていたようです。私もこのような考えで音楽に取り組んでいるのです」

(*)ジョン・ラスキン(一八一九―一九〇〇)は、イギリスの思想家・美術批評家。主著『近代画家論』(全五巻)では風景画家ターナーを擁護しつつ、独自の絵画理論を展開。
(*)ラファエロ・サンティ(一四八三―一五二〇)は、ルネサンスを代表するイタリアの画家。『小椅子の聖母』を始めとし、聖母子画を多く残す。
(*)アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ(一四八九頃―一五三四)は、ルネサンス期のイタリアの画家。作品に『聖ヒエロニムスのいる聖母』がある。

自分を制限するようなルールを課さない

「先人がある特定のやり方でピアノを学ぶように育てられたからといって、また、今の人のなかにも先人と同じように厳格な線に沿って訓練を受けたものがいるからといって、目標に到達するためにより良い道、より広い道、よりスムーズな道がないとは限りません。自分を、あるいは自分の力を制限しないでほしい。『私はこの曲の意味を考え抜いてきて、今はそれに納得している。だからいつも同じように演奏しよう』などと言う必要はないのです。どうしたらこんな考えになるのでしょうね。こんな考えは足枷になります。一つの曲をまったく同じように二度弾くことなどどうしてできるでしょうか」

「今日の私は、昨日の私とは別人なのです。明日の私は今日の私とは違うでしょう。毎日が新しい世界、新しい人生なのです。一つの曲を別々の機会に、あらゆる細部までそっくりそのまま演奏するということが、どれほど不可能かわからないでしょうか。機械であれば何度も同じように繰り返すことはできますが、人間は思考や感情を持って、もっと幅広く物事を見ているのです」

ソクラテス

「演奏家が自分の解釈するすべての感情を経験済みでなくてはならないかどうかという問題は、骨董品と同じほど古いものです。プラトンの対話篇でソクラテスが、俳優は真の芸術家であるためには自分の演じるすべての感情を経験済みでなければならないかどうかという点をめぐって、他の賢者と論争したのを覚えておいででしょう。二人のあいだで議論は次第に白熱していきました。ソクラテスの最後の議論は、『もし真の芸術家が何かを忠実に演じるために実際にその経験をしていなくてはならないとすれば、死の場面を演じなければいけないとき忠実にそれを演じるためにまず先に死を経験していないといけなくなる』というものです!」

速さの問題

演奏の速さをどうやって身につけるかという話をしているとき、バウアー氏はこう言った。

「速さは生まれつきのものであり、その人の思考の本質的な部分だと私は思っています。この生まれつきの特質を持っているなら子供でも、五音からなる単純な音型を、必要なだけ速く演奏することができます。南部の人――といってもアメリカ南部の人ではなくスペイン人やイタリア人のことですが――彼らは速く動くことに慣れています。彼らは両手を使ってジェスチャーをし、生命と活力に満ちています。彼らにとって早く考えることは何ら難しくない。この両国民が特定の地点まで歩き出すとします。両者とも、速いという語で自分たちがイメージする速さにしたがって、速く歩きます。しかし一方が他方よりも先にゴールするでしょう」

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「私が思うに、この時間単位という観念もまた人を縛る考えです。作品のテンポに関して不動のルールなど存在し得ません。そのようなルールに私たちが縛られることはありえない。大事なことは『私がその作品の含蓄や心を理解しているか?』『それを聴き手にはっきりさせることができるか?』『絵が浮かぶようにそれを演奏することができるか?』ということです。だとすれば、テンポが僅かに遅いとか速いとかいうことはまったく問題になりません」

力のある音を出すには

「多くの演奏家は、力のある音を出すために何が一番肝心かを完全に誤解しています。彼らは十分な力のある音を出すには、キーを強打しなくてはいけないと考えています。女子の生徒でこういう考えを持っている人は多いですね。彼女たちは、力がコントラストに由来するということを理解していません。これが力の秘密です。とはいえ、思いっきり強打することがあってはならないという意味ではありません。実際、必要な効果を生み出すために強く連打しなければいけないこともありますから。このことは、単独で鳴らすときつい音も、適切なタイミングと場所では美しくなるということを、再び証明しているだけです」

「速さについて言えることは、力にも当てはまります。力にかんしても、不動のルールなど存在しません。そんなルールがあっては、演奏者の感情・抒情性・情動が束縛を受けてしまう。力の質と程度は、コントラストによります。どの程度の力を選ぶかは、演奏者が曲の内容をどう理解しているかにもよるし、またその人がその内容を明らかにしてそれを美しく完璧に聴衆の前に提示する能力があるかにもよります。これは彼が、曲から一層高尚で精神的な意味を引き出す好機なのです」