27 ジャーメイン・シュニッツァー

ジャーメイン・シュニッツァー(一八八八―一九八二)は、フランス出身のピアニスト。パリ音楽院でプーニョに、ウィーンでエミール・ザウアーに師事。マーラー、フルトベングラー、エネスコなど有名指揮者のもと欧米各国の主要オーケストラと共演。クララと同様の衣装をまとってシューマンを弾くというおちゃめなコンサートを開催したこともある。病気等に苦しむモシュコフスキを支援した、ステージに十四台のピアノを並べた一九二一年の一大コンサートの参加者でもある(本書の人物では他にもバックハウス、バウアー、ガブリロヴィッチ、ランバート、ストヨフスキ、シェリングが参加)。不幸にして四十代に交通事故によりピアニストとしては引退したが、ベートーヴェン協会や音楽家非常時基金の関係者として、また、コンサートマネージャーや旅行コンサルタントなどとして活動的な人生を送った。

現代のピアノ学習メソッド

「『技術』は多くの意味を持つ幅の広い言葉で、定義するのは困難です」

フランス人ピアニスト、ジャーメイン・シュニッツァーは私に言った。私たちはその日、ピアノの問題を話し合っていた。

「どの奏者にも通用するような優れた技術メソッドは存在しません。一人として同じメンタリティの人はいないからです。手も一人ひとり違っていて、その人固有のものです。それだけでなく、同じ人のなかでも右手と左手は違います。だから右手と左手は別々のものとして扱う必要があります」

耳のイラスト

「芸術的なテクニックを身につけられるのは、それへの適性を持っている人、単調で辛い練習を引き受ける強い意志を持っている人です。しかしどれだけ熱心でも、練習するだけでは十分ではありません。技術を伸ばすには、よく考えることです。優れた曲を聴き、巨匠たちの演奏を聴くことです。自分の演奏を意識して聴き、出そうとしている効果によくに耳を傾けることです。ピアニストは楽器に近すぎるところにいるため、自分の出している音の効果の良し悪しを判断しにくいよく言われますが、これは私には当てはまりません。私は耳が凄く良くて、どの音についても正確な強弱がわかります。光と影の効果もすべてわかります。ですから私は自分の演奏を批評するにあたって、可能な場合でも画家のように離れて立つ必要はありません。ピアノの近くにいても十分自分の演奏を批評できるからです」

「自分がいつ技術を学んだのかは、ほとんど覚えていません。最初でなかったことだけは確かです。最初はごく普通の女性教師に教えてもらいました。私の一家はパリ近郊に住んでいて、姉はその頃ラウール・プーニョに学んでいました。姉は真面目に練習する良い生徒でした。姉は私を先生のところに連れて行くと言って、ある日それを実行しました。私は当時七歳ぐらいで、体はとても小さく痩せていました。ハエみたいなものです。巨匠はふざけて、私などほとんど見えないと言っていましたね」

「椅子に腰掛けても足が床に届かないので、補助ペダル――いつも持ち歩いていたものです――の上に足を載せ、思い切ってバッハのインベンションをいくつか弾きました。弾き終えるとプーニョは興味深そうに私を見て、君を教えようと言ってくれた。それでインベンションをもう何曲かと、ツェルニーのエチュードをいくつかと、それにメンデルスゾーンのカプリッチョ(作品二十二)(*)を準備して、四週間後にまた来るようにと言われました。言うまでもなく、その二回目のレッスンのときには、これらをすべて暗譜していました。私は二週間ごとに来るようにとすぐに指示を受けた。さらには毎週来るようにと言われ、最終的には週に二度レッスンをしてくれるようになりました」

(*)≪華麗なカプリッチョ≫ロ短調

「音楽人生の最初の五年は、ただピアノを弾いていただけです。ソナタや協奏曲など、何でも弾いていました。レッスンのたびに大作を吸収していったのです。十二歳ぐらいになると、真剣に勉強する必要があるとわかってきた。その時から本気で練習し始めたのです。先生は私の進歩とキャリアについて前にも増して関心を深め、楽曲の意味や作曲家の意図を精力的に説明してくれました。プーニョに学ぶことは当時の流行だったので、時流に乗る多くの人たちが彼のレッスンを受けていた。しかしプーニョは『私を理解しているのは君だけだ』と言って、私を唯一の弟子と呼んでいました。音楽についてはプーニョが私の父親だと、心から言うことができます。なにもかも彼のおかげなのです」

プーニョ

「私の実家はパリ郊外にあって、プーニョ邸と隣り合っていて隣人同士でした。たくさん彼と会っていましたし、毎日いくらか時間をとって一緒に音楽を奏でていました。彼がアメリカなどにツアーに出ている時も、しょっちゅう手紙を書いてくれました。たくさん保管してあるので、いくらでもご覧に入れますよ。手紙には美しくて尊い思想が詰まっています。高尚で詩的な言葉で書かれた思想です。プーニョが上品で高貴な心を持つ、真に偉大なアーティストだということを示すものです」

「プーニョには十年間学んだのですが、その終わり頃に彼から、エミール・ザウアー(*)に一度演奏を聴いてもらうようにと言われました。ザウアーのところに行って弾いてみると、彼は私の演奏に喜んでいましたが、いくつか教えたいところがあると言われた。こうして私はザウアーから、彼の師であるニコライ・ルビンシテインが提唱したタッチの原理を習得しました。三ヶ月でです。二度のレッスンでと言ってよいかもしれません」

エミール・フォン・ザウアー

(*)エミール・フォン・ザウアー(一八六二―一九四二)は、ドイツのピアニスト・作曲家・教師。リストの弟子。
(*)ニコライ・ルビンシテイン(一八三五―一八八一)は、ロシアのピアニスト・教師。アントン・ルビンシテインの弟。モスクワ音楽院の創設者。

「ニコライ・ルビンシテインによれば、キーは指を高く上げて打つものではありません。指の一番先端の部位を使うのも駄目です。キーに触れる部分はむしろ、指先から少し下がった部位、つまり指先と指の腹との間です。さらに、私たちは単純に普通のレガートのタッチを身につけようと努力はしません。古い教本に書かれているのは、まずはレガートを学ばなくてはいけない、レガートこそが一番習得の難しいタッチだ、などということです。しかしレガートは、速いパッセージでは良い結果を生みません。十分な明瞭さが添えられないためです。現代の考えでは、より歯切れの良いもの、煌めくもの、輝かしいものが必要とされます。そこで私たちはハーフスタッカートのタッチを使います。音と音は互いにぎりぎりのところで区切られると、より軽くて、より響き渡って、より輝かしい質を帯びます。本当にそういう音は、連なった真珠のようなものです。私はまた、圧をかけていくようなタッチも使います。撫でるように優しくキーを押していくのです。いわば、欲しい音質を手探りで探すわけです。欲しい音質を心で考え、心で聴く。こうするとその音質を生み出すことができます。このようなキータッチによって、またこのような絶えざる音色の探究によって、私はどんなピアノからでも――傷んだブリキの鍋のようにボロボロなピアノからでも――美しい音を出すことができます」

Nikolai Rubinstein 1872.jpg

ニコライ・ルビンシテイン

体全体を通して振動する音

「重みを乗せたタッチはもちろん必要です。このタッチをするために、私は腕や肩を使うだけでなく、体全体をピアノの音に共鳴させ振動させます。もちろんこうした原理の多くは、何かの書物・エクササイズ・メソッドから得たものではなく、自分で作り出したものです。上に述べたような道筋で身につけたこと・経験したことから、自分自身のメソッドを築き上げたのです」

曲の覚え方

「曲の覚え方について言うと、私にはまとまったメソッドは何もありません。どういうわけか譜が頭に入ってきます。しばらくのあいだ深く集中して注意深く聴いていれば、曲は永遠に自分のものになります。確かにレシェティツキは『ピアノとは別のところで、片手づづ、二小節や四小節など短い単位で覚えていきなさい』とアドバイスしています。また曲を覚えるのに特別なことをする必要があると私に話してくれたピアニストも確かにいます。しかしこのどちらも私にはあてはまりません。私の覚え方はこうではないのです。弾ける程度に十分に楽曲を学んだ時点で、その曲のすべての音符が頭に入っています。協奏曲をオーケストラと共演する時、私はピアノパートを熟知しているだけでなはく、他の楽器から出る音もすべて知っています。当然ながら演奏中はピアノにもオーケストラ全体にも注意深く耳を傾けています。注意散漫だと、さまよってしまいます。完璧な集中こそが、すべての困難を征するのです」

技術の抽出

「技術の原則を一度マスターすれば、技術単独の練習をする必要はなくなります。少なくとも私にはそういう練習をする必要がありません。とはいえ私は、いろんな曲に登場するあらゆる難しいパッセージを元にした、多様な技術エクササイズをしています。リサイタルの演奏曲の楽譜を見る必要は、私にはほとんどありません。念のため言うと、楽譜は私の手元にあることはあるのですが、ケースから取り出すことはめったにないのです。私がしているのは、全曲を頭のなかで十分に復習することです。このときは静かに一人でいる必要があります。リサイタルの準備にあたって、実際にピアノを弾くのは一日一時間で事足ります」

「私があまり真面目に取り組んでいないとは思わないで下さい。一日に最低六時間は訓練しています。どのような日であれ、この時間がとれなかった場合は、なるべく早くその埋め合わせをしています。夏のあいだ、翌シーズン用の新曲を準備しているときは必死に頑張るんです。先ほど言いましたが、私は曲の難しいパッセージをとりあげて、細部まで隈なく研究し、難しい部分を元に多様な技術エクササイズを作っています。ときにはそれを四、五十通りの方法で弾くこともあります」

「たとえばシューマン≪謝肉祭≫の「再会」(*)という小品については研究の必要があって、私はこれにまる三日を費やしました。午前は九時から十二時まで、午後は一時から五時までです。最後には完璧に理解できて満足しました。その日から今日に至るまで、この小品について何か検討する必要があったためしはありません。熟知しているという自信があるからです。人前で演奏するにあたって、この曲に関しても、他のどの持ち曲に関しても、今まで一度たりともアクシデントはありません。思うにピアニストが果たすべき仕事は、他のどのアーティストの仕事よりも難しいのではないでしょうか。歌手は同時に複数の音を出す必要はありません」

チェロのイラスト(音楽)「ヴァイオリニストやチェリストは音をとるのに片手しか使う必要がありません。楽譜を見ずに指揮をすることを信条としている指揮者がいるとして、その人もたまには記憶がすっぽ抜けることもあるでしょうが、そういう場合でも演奏を止めずに続けることができます。ところがピアニストはどうでしょう。それぞれの手が同時に、ことによると五つの音を出さなくてはいけない。このため一つ一つの音を記憶にしっかりと――拭い去り難いほどに深く――刻んでおかなくてはなりません。 わざわざミスを犯したい人などいませんからね」

(*)≪謝肉祭≫は作品九。「再会」はその第十四曲。

「アーティストはロンドン、パリ、ニューヨーク――私はこの三都市を同類に括っています――では、だいたい似たようなプログラムで演奏します。曲の性格的としては、重すぎないものを選ぶことになります。マドリードやウィーンではもっと華やかな曲を選んでもよいですね。荘重で中身の濃いものを聴きたがっているのはベルリンです。私はベルリンではバッハ、ベートーベン、ブラームスを弾きます。ベルリンの舞台で成功するのは厳しい試練です」

「アメリカでは何度もツアーをしています。アメリカはすごい国です。あなた方アメリカ人が自国の素晴らしさや長所を理解しているとは私には思えません。なんとも立派な教師、優秀なオーケストラ、見事なオペラ、素晴らしい聴衆が存在しています。批評家もよく事情に通じていて、しかも公平です。これらすべてが、外国から来るアーティストに深い印象を残すものです。アメリカは音楽を愛していてますね。音楽の知識も豊富で、音楽に対する熱意があります。優秀なアーティストがいち早く、そして確実に名声を得て成功を確立できるのは、世界の他の国ではなくアメリカにおいてです」

「まず、アメリカが東海岸から西海岸まで一つの国だという事情があります。ですから土地を転々と移動するのはヨーロッパよりも楽ですね。さらに、私はアメリカのオーケストラが世界で最も優れていると思います。あらゆる国のオーケストラと共演している私が言うのです。またアメリカほど聴衆が熱心な国は、他にありません」

「ヨーロッパで音楽家のキャリアを築くメリットはほとんどありません。ヨーロッパで音楽家としてやっていくことに関してよく助言を求められるのですが、やめたほうがいいと説き伏せています。わざわざ虎の穴に入っていくようなものだと思うことがあります。まずは、ヨーロッパで何が期待できるのかを知っておく必要がある。これについて心構えができる前に、ヨーロッパへ行くという罠にかかる慌て者には、『気をつけなさい!』と叫びたい気持ちです。もちろん驚異的な成功を収めるケースもありますが、例外的なものです」

「誰しも『気分』を求めてヨーロッパに行くのです。気分だなんて言葉の乱用ですね。私はこういう人には、『どこにいても自分の気分はつくれる』と言いたくなります。私は人生を音楽とともに生きてきましたが、まさにここアメリカで音楽的な気分を見出していると言うことができます。ボストン交響楽団やクナイゼル弦楽四重奏団が、何かの名作を比類のない演奏で聴かせてくれれば、私はすっかりその音楽に包まれます。そのとき私は音楽的な気分のなかにいるのではないでしょうか」

クナイゼル弦楽四重奏団

「あるいはメトロポリタン歌劇場でワーグナーのオペラを観るとして、そこでの演奏がバイロイトでの演奏より優れていたとしましょう。そのときも私は、音楽的な気分のなかにいるのではないでしょうか。確かにバイロイトにいる場合は、ワーグナーという人物の面影をそこに見るかもしれません。ウィーンにいればベートーベンやシューベルトの墓参りをすることもできるでしょう。しかしこういう事実自体が音楽的な気分をつくっているわけではありません」

「アメリカは偉大な国であり、優れた教師や音楽家が揃い、音楽面で成長を見せています。アメリカ人がこうしたことで喜びを感じるのも当然です。そのうちアメリカは世界に冠たる音楽国になるかもしれませんね」