10 キャサリン・グッドソン

キャサリン・グッドソン(一八七二―一九五八)は、イギリスのピアニスト。王立音楽院で学ぶ。パデレフスキの前で演奏する機会を得、彼の紹介でウィーンのレシェティツキに四年間師事。その後ウジェーヌ・イザイ、ヤン・クーベリック、モード・パウエルなど有名ヴァイオリニストと共演するなど、名声を高めていった。欧米のみならず、ジャマイカ、スマトラ、ジャワなども含め世界中をツアーしている。

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自宅のアーティスト

お気に入りのピアニストをコンサートで頻繁に聴いてきた人いるとして、その人がそのピアニストのタッチ・音色・解釈の効果を言わば客観的に学んできたとしよう。この場合、その人がアーティスト本人にその自宅での内輪の集まりで個人的に触れ合えるのは大変幸せなことである。なにしろ舞台で何千もの聴衆を魅了してきている人と面と向かって話ができるわけだし、そのアーティストが公開演奏で聴衆に感銘を与えている点を、自由に語り合うことができるからだ。

私は最近、アーティストのカップルであるアーサー・ヒントン(*)夫妻と親しく接する光栄に浴した。夫人はキャサリン・グッドソンとして世界中で知られている人である。夫妻はロンドンに静かな美しい邸宅を構えている。そこは本物のアーティストの家だ。この家に上がってもてなしを受けるとすぐに、「音楽家夫妻が家庭生活で完璧な調和を保っている一例が、少なくともここにはある(*)」と感じるだろう。

(*)アーサー・ヒントン(一八六九―一九四一)は、イギリスの作曲家。そのピアノ協奏曲ニ短調(作品二四)は妻キャサリン・グッドソンが献呈を受けて初演している。
(*)実際にアーサーの死まで生涯をともにしている。

広く知られているように、ヒントン氏は作曲家であり、ヴァイオリニストでもあり、さらにピアニストでもある。家に接して増設され、庭につながっている美しい音楽室。せり上がった壇上にグランドピアノが二台置かれている。そこはグッドソン氏自身の聖域であり仕事場である。ここで生徒は、二台目のピアノでオーケストラ部分の伴奏を受けつつ、数あるピアノ協奏曲をいつまでも学ぶことができるのだ。ヒントン氏はこの邸宅の最上階にスタジオを持っている。

音楽室には大きなアーチ型の窓があって、差し込む光が部屋を照らしている。窓ガラス越しに庭の木が目に入ってくる。自分が人里離れたどこかの美しい森にいる感覚に簡単に陥ってしまう。これは実際にそうなのだ。この部屋、この家に備わっているもの。家具の一つ一つ。それぞれの色調。こうしたものすべてがしっくりと調和していて、芸術的センスが感じられる。グッドソン氏は、ピアノのハーモニーに対する音感をもつばかりでなくに、色の調和についても鋭くて洗練された感覚をもっていた。

「今度のツアーは、アメリカで行う五回目のツアーです」

彼女は言った。

「アメリカでの演奏を私はとても楽しんでいます。ニューヨーク、ボストン、シカゴ、フィラデルフィアといった都市の人たちは、世界で最も耳が肥えていますね。ロンドンでも数多くのコンサートがあるのは確かですが、お客さんがたくさん入ることはほとんどありません。ロンドンの人は、アメリカの人ほどピアノ音楽にすっかり馴染んでいるというわけではないのです。あなたがたアメリカ人は最高のものの価値がわかる人たちですね。小さめの都市でもそれは変わりません」

「米西部の多くても四万人ほどの人口の都市で開いたリサイタルのことを覚えています。このリサイタルは、ある音楽クラブが手はずを整えたものです。彼らは本番の少し前に、プログラムが欲しいと私に言ってきました。彼らはプログラムを下調べし、私が演奏しようと思っている曲すべてを知り尽くしました。聴衆は非常に多かった。その地方全体から人が集まっていましたからね。リサイタルの後に、年配の女性三人から挨拶を受けたことを覚えています。別れ際にこう言うんです。『あなたは明日も私たちに会いますよ』と。あとでこの言葉についていろいろ考えた。どういう意味なんだろうと思いました。というのも私は翌日の夜、そこから何マイルも離れた所で演奏することになっていたからです。当日、同じ女性たちから挨拶を受けたので驚きました。するとこう言うんです。『あら。私たちがここに来るのはご存知だったでしょう? 来るって言いましたよね』と! コンサートを見るだけのために、ロンドンからエジンバラまで足を運ぶということを想像してみてください。彼女たちがしたのはそれほどのことだったのです。こんな出来事からアメリカにおける音楽熱、ピアノ音楽熱が理解できます」

「私はブラームスの協奏曲とパデレフスキの協奏曲を両方ともアメリカで弾きたいと思っています。私にとって後者は美しい作品です。緩徐楽章は絶品です。今のところまだほとんど手を付けていません。ノルウェー、スウェーデン、フィンランドを股にかける長旅に出ていたからです。当地の聴衆の前で演奏することは刺激的でした。彼らは私にまた来て欲しいと思っているようですが、今は行けません。翌シーズンもそう。しかしその後には行くことになるでしょう。私には大いに休息が必要だったので、ロンドンに戻りました。とはいえ私は今、真剣に仕事に取り組むつもりでいます。実際のところ一年のうち夏ぐらいしか、勉強する時間がとれないからです。今は六週間まるまる時間がとれます。その後、私たちはグリンデルヴァルト(*)で恒例の休暇を過ごしますが、途中でモルジュ(*)に寄ってパデレフスキを訪ねるつもりです。彼の書いた協奏曲を一緒に検討してもらい、解釈について彼の考えを聞くつもりです」

(*)グリンデルヴァルトは、スイス・アルプスの谷あいの村。山岳地方への拠点として賑わう。
(*)モルジュは、スイスのレマン湖畔の都市。

分析による覚え方

「私がどうやって曲を覚えるかをお尋ねですね。私はまず何度か作品を詳しく見て、全体としての一般的観念を得るんです。次にそれを分析します。調・和音・構造を知ることは絶対に欠かせないと思うからです。一つの作品はこのような線に沿って十分に理解すべきです。譜に書かれている調と同様に、別の調でも演奏できるほど十分にです。実際に曲を覚えるために、私はこれを通常、フレーズごとに行います。必ずしもいつも『片手ずつ』ではありません。時々はそうもしますけどね。バッハのイ短調の前奏曲とフーガをそのようにして学んだことを覚えています。かりに私が今、この曲のどこかの小節かパッセージを弾くように頼まれれば、どこであれそれを弾くことができます。それは私にとって永遠の記憶であり、決して忘れることのないものです」

レシェティツキのメソッドを、いろんな教師が様々な方法で教えている現状について訊くと、グッドソン氏は次のように述べた。

「誰もが知ることですが、『自分はレシェティツキの原理を理解して教えている』と――その能力もないのに――主張している教師がいます。例えばですが、レシェティツキが指先を鍵盤の縁にまっすぐに並べるようなフォームを要求しているという説がありますが、私には覚えがありませんし、私自身そんなフォームにしたことは一度もありません。鍵盤上で、手はすっかりリラックスさせて自然な姿勢にするのが良いと私は信じています。これが正しいのであれば、上から見て指先はカーブを描きますし、そのとき鍵盤上で、中三本の指は、一の指と五の指にとって自然な位置より少し遠くに置かれます。もちろん手は弧状の姿勢をとります。指先に一番近い関節は、固定しておかなければいけません。そこでグラついたり力負けしたりすることがあってはなりません。腕全体も当然リラックスさせておく。そうすれば腕は肩から楽に振れてくれます」

ピアノ向きの手

「おっしゃるとおり私の手はピアノ向きです。この手のおかげだと言えることはたくさんあります。私は生得の技術と呼ばれているものを数多く持っています。だから練習ができないことが続いても、能力が失われることがありません。一時間もやり直せば、手は元の状態に戻ります。どのように元に戻すか? いろんなことをやります。最初に指の運動を、拡張和音などで。それから音階やアルペジオ。次にショパンのエチュード。このような感じです。定期的に練習する場合、通常は一日四時間以上はやりません。しっかり集中して取り組めばそれくらいで十分だと思います」

その後、私たちは音楽室の裏にある素敵な庭へと、場所を移した。ここで美しいグレーのアンゴラ猫が私たちに加わった。飼い主ご自慢のペットで、実際とても重要な存在だった。この雄猫はグッドソン氏の肩に乗る特技を持っていた。猫はそこから周りの世界を見廻していた。賢い動物だけに備わった愛嬌をみせながら。