21 テレサ・カレーニョ

テレサ・カレーニョ(一八五三―一九一七)は、ベネズエラ出身のピアニスト。父は国の要職に就く政治家で音楽愛好家。祖国では父などからピアノ学ぶ。政変でアメリカに移住後、ゴットシャルクに学ぶ。若くしてデビューし、ホワイトハウスでリンカーンの前でも演奏した。さらにパリに渡りジョルジュ・マティアスとアントン・ルビンシテインに学んだ後、欧州で演奏活動を始めた。グリーグやマーラーの指揮でも演奏している。教師としても活躍し、マクダウェルは門人の一人。本文で見るように、ピアノ奏法の研究者ブライトハウプトにも影響を与えている。なお声楽家・作曲家・指揮者としても活躍している。

初期の技術訓練

いつまでも若々しく魅力的なピアニスト、テレサ・カレーニョがふたたびやって来た――。これは某音楽批評家の言葉である。

私が彼女の演奏を初めて聴いたのは幼いころだった。炎・情熱・きらめき・妙味にあふれたその演奏にどれほど魅了されたかを私はよく覚えている。自分もこのように弾けるようになりたいとどれほど願っただろう。そのためにどれほど頑張ったことだろう。演奏だけでなく、彼女の見た目も全部好きだった。ステージを歩くときの優雅な身のこなし。椅子に座るときの快活で手慣れた様子。丸くて白い腕や手首。それに赤い飾り帯。私はどれも大好きだった。

最近カレーニョ夫人にインタビューした時に、このことを思い出したので話してみると、とりわけ飾り帯の思い出のことで彼女は楽しそうにしていた。

「飾り帯を着けていたころと比べて今は年をとった、などとは心では感じていないんですよ。これは本当なんです」

彼女はそう言った。そのあと話題はピアノをマスターするという問題に転じた。彼女自身のピアニストとしての優れた技術に随時触れながら話し合った。

「ごく幼い頃にピアノを始めたことはとても有利にはたらきました」

彼女は言った。

「ピアノの音が好きで、三歳ちょっとぐらいのとき、曲のフレーズを聴き覚えで弾き始めました。真剣に取り組み始めたのは六歳半ぐらいの頃です。それもあって九歳の頃にはショパンの変イ長調のバラード(*)のような曲を弾いていました。私に好都合だったことがもう一つあって、それは父こそが最良の教師だったことです。父は私のピアノ好きを見て取り、適切に教育しなければいけないと判断しました」

「父は音楽の熱心な愛好家で、国会議員になっていなければ間違いなく大音楽家になっていたでしょう。素晴らしいピアノ教育法を編み出した人でもあります。私は当時その方法によって学び、今は自分の生徒を同じ方法で指導しています。父がつくったシステムのなかに、ストレッチと体操のシリーズがあるのですが、これは非常に優れたもので私には高い効果がありました。自分が指導するときもいつも使っているものです。とはいえ、何でもそうですが、正しい方法でやらないと効果はありません」

(*)バラード第三番(作品四七)

グランドピアノのイラスト

五八〇個の技術エクササイズ

「父は私のために技術エクササイズをものすごくたくさん書いてくれました。正確に言えば五八〇個もありました。大作曲家の難しいパッセージで構成されているものもありました。元々は片手のために書かれたらしきものを、父は両手用にアレンジするのです。するとどちらの手の運動量も同等になり、偏らずに訓練できます。私は右手と左手で違いを感じることはありません。この五八〇のエクササイズを全部やりきるのに三日もかかりました。すべてのエクササイズをすべての調で演奏しないといけません。それもレガート、スタッカート、ハーフスタッカートなどあらゆるタッチで弾きます。いろんなニュアンスをつけながらです」

エチュードや楽曲以外ではまったくと言っていいほど技術エクササイズに時間を費やさない教師や生徒のみなさん! 技術に特化したこのような訓練に思いを馳せていただきたい。

「自分の演奏を批評家的な目で見る方法を学ぶことも、訓練の一部でした。私は、自分の演奏によく耳を傾けて批判的に聴くということを学び、その良し悪しを判定することを学んだのです。演奏が一定の水準に達していなかった場合、何が問題だったのかを自分で見抜いて修正する必要がありますからね。これは早めに学ぶに越したことはありません。私は後に成功しましたが、多くはこの能力のおかげだと思っています。自分の演奏を批判的に聴くことは、今もなお実践中です」

考える人のイラスト

「そこのピアノの上には次のリサイタルの楽譜が全部あります。これで見直しをするのです。どこにでも持って行っています。私はいつもこの勉強法を生徒に教え込もうと努めています。私は生徒にこう言うんです。『ピアノでノイズをたくさん出すことは誰にでもできます。でもあなたたちにはピアノから語りが聴こえてくるようにして欲しい』と。私が生徒に教えられることは限られています。残りは生徒自身が自分でやらなくてはいけません」

移調の価値

「熱心な我が師が強く求めたことはまだあって、それは移調です。私は移調をほとんど無意識に吸収しました。いつ学んだのかわからないほどで、私にとってそれは自然なことに思われました。父は実にうまいやり方をする教師で、決して命令はせずにただこう言うのです。『ハ調で弾けるようだね。でもニ調では弾けないんじゃないかな?』と。疑われればやる気とプライドに火が着きます。ニ調や他の調でも弾けるといって、実際に父に弾いてみせたものです」

「あらゆる技術エクササイズと並んで、エチュードもたくさんやりました。ツェルニーは非常に多くやりました。エチュードの場合も移調しないといけません。父にとっては、一つのエチュードを同じ調で二度弾くのは役に立たないことだからです。そんなわけで私はこう言っても許されるでしょう。何であれ私は、自分の弾けるものをすべての調で弾ける、と」

「私は一年間、技術の練習ばかりやって、それから初めて曲をやりました。最初の曲はメンデルスゾーンのカプリッチョ(作品二二)(*)に他なりません。そういうわけで私が基礎を十分に身につけていたことは理解していただけると思います。私は実際、徹底的な基礎が備わったことを一生感謝し続けています。最近はよくピアノ学習の『近道』のことを耳にします。機械的なメソッドもあればそうでないものもありますが、ともかく新しいメソッドがたくさん出ているようです。しかしそのようなメソッドに頼る人は、頭を使った正しい方針による猛練習という王道を通る人よりも、早くゴールに達しているでしょうか。より完成度の高い音楽家になっているでしょうか。私はそのような例をまだ見ることができていません」

(*)≪華麗なカプリッチョ≫ロ短調

体の力をあまり使っていないのに、どうして力のある音が出せるのかと尋ねると、カレーニョ夫人はこう答えた。

「力の秘密はリラックスです。あるいは力はリラックスのことだ言ってよいかもしれません。とはいえこの言葉は誤解されがちです。リラックスしなさいと生徒に言っても、いつどのようにリラックスしたらよいのか理解されていなければどうにもなりません。リラックスとはピアノに向かってバタッと身を解きほぐすことではなく、必要な箇所でのみ緩めることです。他では緩めません。チャイコフスキー協奏曲の重い和音では、私は必ず腕を肩からだらっと垂らしています。私は実際、腕があることを意識していません。私が何の疲れもなく何時間でも弾いていられるのはこのためです。リラックスとは実際は心のリラックスです。というのもリラックスはまず思うことだからです。腕や手をリラックスした状態にするには、まずもって心のなかでリラックスのことを考えないといけない。リラックスを考えるのが先で、実際にリラックスするのはその後でなくてはいけません」

「私の演奏のクオリティはブライトハウプト(*)に感銘を与えたに違いありません。というのも、ご存知かもしれませんが、彼が『重量奏法《ウェイト・タッチ》』(*)という私に捧げた有名な本を書いたのは、私の演奏を聴いた後のことなのです。ところでこの本の第二版(改訂版)は初版を改善したものです。私の弾く音には特別なクオリティがあると言ってくれるアーティストや音楽家は数多くいます。もし本当にそうなのだとすると、それはリラックスを自在に制御している結果だと私は確信しています」

(*)ルドルフ・マリア・ブライトハウプト(一八七三―一九四五)は、ピアノ教師。『現代のピアニスト、テレサ・カレーニョ』という論文も書いている(一九〇三)。
(*)『自然なピアノ技術第二巻――重量奏法講座(Natural Piano Technic 2 ― School of Weight Touch)』(一九〇九)のこと。現在でも入手可能。ドイツ語原書名は”Die naturliche Klaviertechnik. Bd. 2: Die Grundlagen des Gewichtsspieles”。

私はカレーニョが例外的なほどピアノ向きの手をしていることを指摘した。すると彼女は「ええ」と答えて続けた。

「私の手はルビンシテインの手にとてもよく似ているんです。このことで思い出すちょっとした出来事があります。私は子供の頃ロンドンに連れて行かれ、ある日ルビンシテインの前で演奏しました。彼は喜び、私を手で守りながら、『この子は音楽的には私の娘だ』と周りの人たちに紹介してくれました」

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アントン・ルビンシテイン

「それから何年も後、身内とニューヨークに行きました。泊まったのは、有名人が数多く宿泊する由緒あるクラレンドン・ホテル。初日のランチの時、おばと私は、年配の女性ばかりいるテーブルの席につきました。女性たちは二人を好奇の目で見ていた。私は恥ずかしがり屋のほっそりした娘で、最初に食堂全体を見渡した後は、ほとんど目を上げる勇気がない。すると隣に紳士が座ってきました。テーブルの上に休ませてあるその手が目に留まる。よくよくその手を見てみると、どうしてもルビンシテインの手が思い浮かんでくる。目をゆっくりと紳士の顔に向けていくと、そこにいたのはなんとルビンシテインその人でした。彼は私を見ていましたが、そのうち体をこちらに向け、私を抱きしめたのです。見ている女性たち全員の前で(!)です」

私たちはビューローやクリントヴォルト(*)に触れつつ、カレーニョが住むベルリンと、この地の音楽状況について話した。

「二人とも良い友だちです」

彼女はそう言った。

「クリントヴォルトは、ベートーベンとショパンの校訂で実に見事な仕事をしてくれました。ゲーテが自分自身について言うように、私たちはクリントヴォルトについて、『彼はこの仕事において、自分自身の記念碑を彫ったのだ』と言えましょう。ピアノの世界に大きく貢献したクリントヴォルトに、私たちは敬意を払うべきです」

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クリントヴォルト

(*)カール・クリントヴォルト(一八三〇―一九一六)は、ドイツの作曲家・ピアニスト・教師。リストの弟子。クリントヴォルト音楽学校を創設。

「アメリカで演奏するのはとても好きです。来るたびにアメリカの成長を感じます。音楽面での進歩は目を見張ります。この国は決して欲得まみれでもないし、商売っ気にあふれてもいない。ヨーロッパの人がアメリカのことを金銭ずくだと思うなら、それは本国のアメリカ人を知らないからです。あなた方の音楽面での進歩は驚きです! アメリカには広く理想主義が見られます。理想を求める気持ちは、まさに音楽の心であり魂です」

「私はアーティストには、天命ともいうべき素晴らしい仕事があると感じています。その仕事とは、自分の演奏を人々に聴いてもらい、演奏やそれに込められた理想の美しさや壮大さに気付いてもらえるようにするということです」