18 アデーレ・アウス・デア・オーエ

アデーレ・アウス・デア・オーエ(一八六一―一九三七)は、ドイツのピアニスト・作曲家。最初テオドール・クラクに学ぶ。才能を認められ十二歳でリストに弟子入りし、七年間師事。リストのピアノ協奏曲第一番でアメリカデビューを果たす。キャリアを通じてリストの楽曲の普及に努めた。チャイコフスキーの友人でもあり、カーネギーホールの創立コンサートではチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番を作曲家自身の指揮のもと演奏している。またチャイコフスキーの最後となったコンサート(≪悲愴≫初演時)も、オーエが同協奏曲を弾いている。アメリカでは十七年暮らし、その後ドイツに戻っている。このインタビューはその頃のもの。

ふたたびアーティストの自宅で

アーティスト宅をお邪魔したことは他にもあった。私はアデーレ・アウス・デア・オーエ嬢からベルリンの自邸に招かれたのだ。ブゾーニと同じく、彼女もベルリン西部の新興地区に住んでいる(他にも多くのアーティストが住んでいる地域である)。その広々とした家にあがる人はみな、本当にドイツ的な雰囲気な家だと感じるだろう。アデーレ・アウス・デア・オーエは、数多くのピアノ演奏をしてきたアメリカでよく記憶されている。その彼女は今、聖母のように、茶色い髪を耳に軽くかかるようにしていて、それがとてもよく似合っている。

「私は自分の時間を、コンサート・作曲・自分の勉強に分けています」

アーティストはこのように始めた。

「レッスンはほとんど行っていません。その時間がないからです。一度に二人以上の生徒を取ることは決してありません。生徒は才能も情熱も持っていなくてはいけません。生徒に必要な練習時間は、もちろん各人の飲み込みの早さによって違います。一般に練習は一日四時間、長くても五時間で十分だと言えるでしょう。ただし本気で集中して取り組めばの話です。練習の質の高さは欠かせません。ちゃんとパッセージを理解しないままでは、その箇所を千回練習しようがそれは無意味な繰り返しに過ぎない。だから最初にパッセージの構成や意味を理解するのです。その上で練習を千回やれば、パッセージは完璧なものになるでしょう」

「楽譜を見てよく考えることによって、しなくて済む練習はたくさんあります。このことがアメリカで理解されているでしょうか。つねに自分の演奏をよく聴いて下さい。ピアノで自分が出す音すべてに耳を傾けるのです。私はこの点がまずもって重要なことだと思っています。一般に私が教えているのは上級レベルの生徒とか、音楽を仕事にしたいと思っている生徒ですが、ときどき初心者を受け入れることもあります。すべての音を聴き、耳を鍛えるということは、基本中の基本というべきものです」

手は自然な姿勢をひとりでに見出す

「手の姿勢に関しては、心の狭いこととや野暮なことを言わないように努めています。良い音でまずまず効果的に弾けている限り、たとえ生徒の手の姿勢が私の気に入らないものだとしても、それはそれとして認めて前に進ませます。もし全部止めて手の姿勢の練習ばかりさせていると、生徒はやる気をなくして、『また最初からやり直しか』と考えるでしょう。最初からやり直すということは、ときとして悪い結果を生みます。生徒の現在地を受け入れて前に進ませるというのはリストの考え方でもありました。リストは生徒が慣れきっている手の姿勢を、その人にとって自然ではない姿勢に改めさせるのが好きではなかった。それに、新しい姿勢を身につけるとなるとまたすごく時間がかかります。時間はもっと有意義なことに使ってよいとリストは考えていました。理にかなった姿勢はたくさんあります。手は左右別々の勉強となります。右手には右手にとって、左手には左手にとって、いちばん自然な姿勢が身に着く傾向があります」

フランツ・リスト

「私は来シーズン、ヨーロッパで数多くのコンサートやリサイタルを開きますが、渡米の予定はありません。アメリカについてはよく知ってます。何度もツアーをしてきましたし、住んだこともありますから。最後にアメリカを離れたときは悲しい状況でした。いつも私に連れ添ってくれていた姉がかなり長い病気の末、亡くなったのです。おわかりかと思いますが、アメリカ再訪の意欲がわいてきません」

オーエの伝記

「といってもアメリカは好きですよ。あなた方が音楽や芸術で成し遂げている飛躍的な進歩には敬意を払っています。アメリカ人は自分を信じる勇気があります。他人や批評家が崇拝すべきだと言ってるだけで、楽曲を崇め奉ることがない。拍手を送る前に隣の人の顔色を伺うこともない。気に入らないなら恐れずにそう言います。好きな音楽がラグタイムだけという場合であっても、そう告白することを恐れていません。より優れた音楽を学んだときには、そのことを言います。このような正直さこそが、進歩という結果につながっているのです。あなた方は、最高のものを判断する能力を急速に身につけつつあります。最高の鑑賞眼のある聴衆はアメリカにいるということに私は気付いています」

アウス・デア・オーエ嬢は女性文化協会(*)と深く関わりがあり、その音楽部門は彼女自身が設立したものである。最近、女性作曲家による作品の展示会があり、ドイツ中の女性作曲家から作品例が送られてきた。目下ミュンヘン在住のアメリカ人、ビーチ夫人(*)の作品が表彰を受けた。この協会の支部はドイツの他の諸都市にも置かれている。

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エイミー・ビーチ

(*)エイミー・ビーチ(一八六七―一九四四)は、アメリカのピアニスト・作曲家。アメリカ人女性の作曲家として初めて大きな成功を収めた。
(*)一九〇五年にベルリンに創設された、女性の文化芸術活動を促進するクラブ。ベルリン・リセウム・クラブ(Lyceum-Club Berlin)として現在も存続。

このピアニスト宅の壁に、驚くほど独創的で大きな絵画が何枚か掛かっていた。どれも宗教的なテーマを扱ったものであり、ピアニストの唯一の兄で、キャリアの絶頂期に亡くなったアウス・デア・オーエ氏(*)の作品だった。

作曲家は言った。

「ええ。母も兄も姉も、私が最後にアメリカにいた頃には亡くなっています。今はまったく一人です。でも私には音楽がありますから」

(*)グスタフ・アウス・デア・オーエは生没年不詳。≪中庭での花嫁(Bride on the Courtyard)≫(一八九八)などの作品がある。

Bride on the Courtyard, 1897, Aus Gustav der Ohe.


(オーエ作品例)