26 ユージン・へフリー

ユージン・へフリー(生没年不詳)は、ニューヨークのピアノ教師。数学者メリル夫人が創設したオークスミア女学院のピアノ科主任を務めていた頃に、ヴァイオリニストのヤッシャ・ハイフェッツの姉妹にピアノを数年教えている。同校の同僚に、のちにアカデミー作曲賞を受賞したロバート・ラッセル・ベネットがいて、「同時代のどの音楽家にも敬愛されるこの有名教師と週二回、電車で四十分の距離を一緒に往復できることには計り知れない価値があった」とヘフリーを称えている。ヘフリーは、のちに作曲家となるマリオン・バウアーも指導し、シェーンベルグについての知識を授けている。

ピアノ音楽の現代的傾向

崇高な理想と真面目な目的を持ったピアニスト・教師であるユージン・へフリーは、ニューヨーク・マクダウェル・クラブ(*)の創設者にして初代総裁である。ヘフリーはマクダウェルその人の提案を受けて、一九〇〇年にピッツバーグからニューヨークにやって来た。この地でピアノの仕事で自分の立場を築いていった彼は、聴衆を感銘させるピアニストであるだけでなく、きわめて誠実で献身的な教師であることを示し続けている。今、ピアニストや教師として成功しつつある数多くの若手アーティストを育ててきた人である。

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マクダウェル(1860-1908)

(*)一九〇〇年頃、アメリカの世界的作曲家マクダウェルを記念し、音楽振興・助成などを目的としたマクダウェル・クラブがアメリカ各地に創設された(ピーク時には四百を数え、現在も少数ながら残る)。ニューヨーク・マクダウェル・クラブはその一つ。一九〇五年創設、一九四二年解散。ちなみにこの翻訳書の原著出版社社長フレデリック・A・ストークス(一八五七―一九三九)は同クラブの三代目総裁。

へフリー氏は過去の巨匠たちに敬意を払う一方、進歩的な人でもあり、つねに新しいもの――新思想・新しい作曲家・新しい音楽――にアンテナを張っている。アメリカでマクダウェルがまだほとんど聴かれていない頃に、ヘフリーは彼の曲を人々に広めて、マクダウェルへの熱意を掻き立てようと大いに努力した。彼はこのときと同じ心の大きさで、時代の最先端をゆく楽派の諸作品を生徒に紹介している。たとえばドビュッシー、ラフマニノフ、フローラン・シュミット(*)、レーガー(*)、リャードフ(*)、ポルディーニ(*)などの作品である。

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ポルディーニ

(*)フローラン・シュミット(一八七〇―一九五八)は、フランスの作曲家。ピアノと管弦楽のための≪協奏交響曲≫などの作品がある。
(*)マックス・レーガー(一八七三―一九一六)は、ドイツの作曲家・オルガン奏者・ピアニスト・指揮者・教師。作品は千を数える。
(*)アナトーリ・リャードフ(一八五五―一九一四)は、ロシアの作曲家。ピアノ曲が多い。門人にプロコフィエフがいる。
(*)エデ・ポルディーニ(一八六九―一九五七)は、ハンガリーの作曲家。もともと母国でオペラ作曲家として知られていたが、クライスラーが≪踊る人形≫をヴァイオリン用に編曲してから国際的に有名になった。

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フローラン・シュミット

「私の生徒はこういう新しいものを学ぶのが好きです。聴衆は私たちがリサイタルを開く時、新しい曲や、めったに演奏されない曲に関して啓蒙されることを期待して、このスタジオにやって来ます。私たちは聴衆を失望させません。フローラン・シュミットはドイツの姓ですが、作風・書法において――ドビュッシー風のそれではないですが――フランス人そのものです。シュミットは美しいピアノ曲をいくつか書いています。珠玉の小品セットです」

「私はラフマニノフを非常に高く評価しています。彼の前奏曲はもちろん使っています。有名なハ長調とト短調の前奏曲(*)だけでなく、一つの作品番号に含まれる十三曲をセットで使うのです。非常におもしろいものです。ロシア音楽はたくさん使っています。リャードフは美しいものをいくつか書いています。しかしチャイコフスキーのピアノ曲は、たまには快活な気分のこともあるとはいえ、一般に愚痴っぽくて陰鬱です。私が思うに、音楽において、協和音や規則的リズムといった路線で表現可能なことはすべて出尽くしました。これからの音楽は不協和音やリズムの多様性といった方面で、その進歩を探らなくてはなりません。述べてきた現代作曲家たちが、どれほどリズムに変化を持たせていることか。ときには同時に三つか四つの違ったリズムが出て来るほどです。他の分野でも同じことですが、音楽や文学に私たちが魅せられるのは、こういう予測不可能なものがあるからです。誰も次に何が来るか知りたくない。私たちは驚きたいのです」

(*)ハ長調は≪十三の前奏曲≫(作品三二)所収。ト短調は≪十の前奏曲≫(作品二三)所収。

「私は古典作品のなかでは、可能な時はバッハを多く使います。以前はモーツァルトを今より多く使ってました。最近はハイドンに傾いてきています。ハイドンの変奏曲やソナタは優れています。生徒もハイドンが好きなようです。私はメンタルの学びとして、ポリフォニックな音楽の価値をすっかり信じています。それは必須のものです。バッハは高くそびえ立つ人物です。音楽における強固な岩石です。バッハは本質的にキリスト教徒でした。敬虔で信心深い面は、彼のどの作品にも輝いて現れています。信仰という要素なしには、音楽は存続しないだろうと思います」Bach.jpg

「チャイコフスキーは信仰を持っていませんでした。ベルリオーズもです。モーツァルトさえもです。モーツァルトは美しい音楽を書こうとしか考えなかった。その意味で彼は異教徒です。シュトラウスが信仰を持っていたかは疑問です。現代の音楽が未来になってどう評価されるかを予見できる人はいません。シェーンベルクは将来どう評価されているでしょう。この人の作品については、私にまだ時間がなくてちゃんと理解できていないので、それができる日まで評価を保留にしてあります。私が言えるのは、彼の弦楽四重奏曲(*)を三回聴いたということだけです。最初に聴いた時、この曲のなかには称賛すべきものが多く含まれていると感じました。二回目は、曲のところどころで深く感動しました。三回目は、特に曲の後半には、私がそれまで聴いたなかで最も美しい音楽が含まれているように感じました」

(*)本書出版時期からわりだして、弦楽四重奏曲第一番ニ短調(作品七)か同第二番嬰ヘ短調(作品十)のいずれか。番号を語っていないことから、前者か。

「私が生徒に技術訓練をどのように施しているかを、言葉で言い表すのは簡単ではありません。練習方法は生徒の数だけあります。生徒は一人として他の生徒と同じではありません。ご存知のように私は『メソッドの人』ではありません。いわゆるピアノメソッドは私にはほとんど用がないのです。真のピアノ教師になることは難しいことです。教師気取り《ペダゴーグ》はたくさんいますが真の教師《リアルティーチャー》はあまりいません。私は両者を区別しています。教師気取りは規則や練習方法をいろいろ知っていて、自分の知識を生徒に注ぎ込もうとする人です。真の教師は、生徒の内に秘められているものを引き出そうとする人です。生徒にどんな適性があるのかを探そうする人であり、生徒の好きなことや一番得意なことを見出そうとする人です。真の教師は、心理学者のような側面を持っていなくてはいけません。さもないと生徒の気質・好み・メンタリティを見定められないし、生徒のために何ができるかということを正しく判断することもできないでしょう」

「新しい生徒が来た時、私はその生徒の能力や、教えを理解する見込み、頭の回転の速さ、それに健康状態などを心の中で鑑定しなければいけません。生徒は一人として、他の生徒と同じように扱えません。根気がなくてどんなことも最後まで真剣にやり通したことがない生徒は、それとは逆のメンタリティと経験を持つ生徒とはまったく違う扱いをする必要があります。こういう生徒にバッハを与えても無意味でしょう。時間と忍耐の無駄になるだけです。この子はどんな意味においても音楽を理解することができない。バッハのなかにある偉大なものをまったく把握できない。それなのにこの方向で指導してしまうと音楽嫌いになってしまう。反対に、もっと真面目で思慮深い生徒には、いくらでもバッハをやらせてよいのです」

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「タッチもお粗末で、手もできていない生徒には、通常コースの訓練を受けさせます。手は最初、鍵盤かテーブルの上で正しい姿勢に構えさせる。指はアップの動作で始めるように教える(上げる筋肉に特に注意を払う必要があるため)。筋肉や指の状態は、張っている・締りがない・固い、のいずれかです。スチールのバネのように反応良き指に矯正してあげるが大変なのは、張っている指です」

「最初に、正しい指のアクションを必ず確立しなくてはいけません。これは指の発達のためでもあり、また音の明瞭性・正確性のためでもあります。一つ一つの指で正確なアップダウンの動作ができるようになれば、指二本を組み合わせて完璧なレガートができます。レガートは三種類、教えています。パッセージのレガート・歌うレガート・伴奏のレガートです。生徒にはまずパッセージのレガートをマスターしてもらいます。他のレガートはその後です。技術は片手ずつ練習するよう生徒にアドバイスしています。きっとご存知でしょうが、私は楽曲を離れて純粋に技術だけを学ぶ意義を固く信じています」

「生徒の上達に合わせて和音の演奏を始めます。タッチをいろいろ変えながら、様々な音階・アルペジオ・オクターブで行います。私はかなり早い時期から、ポリフォニック技術(と私が呼んでいるもの)を開始します。右手と左手で別々の動作・タッチをする技術です。いろんなタッチで音階・アルペジオ・パッセージを弾いて練習できます。例えば右手ではスタッカートで、左手ではレガートで弾くのです。この逆もやります」

基本となる技術を教本なしで教えているのかと訊くと、ヘフリー氏は次のように答えた。

「いえ、たいていはハインリッヒ・ゲルマー(*)の教本を使っています。基礎を網羅したもので、とても良くできていますからね。すべてを一冊の本に簡潔にまとめてあります。メルトケ(*)もいくらか使っています。エクササイズはどれもすべての調で練習しなくてはいけません。私はこれらの教本がどんな生徒にも役立つと感じています。付言しておくと、私はエチュードをあまり使いません」

(*)ハインリッヒ・ゲルマー(一八三七―一九一三)は、ドイツのピアノ教師。一八八一年に『いかにしてピアノを弾くか(Wie spielt man Klavier?)』を出版している。
(*)エドゥアルト・メルトケ(一八三三―一八九五)は、現ラトビア(当時ロシア領)出身の作曲家・教師。ドイツで活躍。

「リズム感が全然ないような生徒にはメトロノームを使います。しかしメトロノームの使用はなるべく少なくしています。体の内側にリズム感を作ってもらいたいからです」

「曲の覚え方については特にアドバイスはないのですが、生徒には自分にいちばん楽で自然な方法を採用するように言っています。曲の覚え方には三通りあって、それは、分析的に覚える・映像的に覚える・体で覚える、の三つです。分析的に覚える人は、パッセージをとりあげて、それがいかに構築されているか、またなぜそのように構築されているのかを学びつつ覚えていきます。映像的に覚える人は、パッセージの譜を心の目で見ることができます。体で覚える人は、音を指に探してもらいます。あまり頼りになる方法ではありませんが、こういう覚え方が必要な生徒もいます。もちろん分析的に覚えるのがベストです。曲を分析的に考察できる頭をもっている生徒には、この方法を強く勧めています」

「私が教育上重視しているのは音色です。音色は解釈をはっきりと決定づけるものです。これはフォルテシモ、メゾフォルテ、ピアニシモなどの発想記号を使うというだけの問題ではなく、もっとこまやかで精妙な話です。私が求めてるのは音の質です。私は生徒に、一音だけで何分も練習させることがあります。そうすることによって、適切な音色を出すために何をしなければいけないかを真に理解してもらい、どうやったらその音が出せたのかを記憶に留めてもらいたいのです。ペダルは非常に助けになります。ペダルが『ピアノの魂』(*)だというのは本当なのです」

(*)しばしばショパンやアントン・ルビンシテインに帰せられる言葉。

「生徒のなかには、空想《ファンシー》があっても想像力《イマジネーション》(*)がない子もいるし、その逆の子もいる。この二つは同義語ではありません。詩を読むことは美的センスを養うのに役立ちます。絵画を見ることや自然に触れ合うことも同様に役立ちます。生徒を指導しているときは、生徒の気質を必ず考慮しなくてはいけません」

(*)辞書的にはファンシー(fantasy)はとっぴな空想で、イマジネーション(imagination)は根拠のある創造的な想像のこと。

「解釈はこれと決まったものはなく、あくまで相対的なものです。パレット全体に大きく色をのせて大胆な筆使いで絵に色を塗る演奏家もいる一方で、繊細・精密な絵を描くことに喜びを感じる演奏家もいます。どちらも自分の気質というレンズを通して、ひとつの作品の意味理解・解釈を心に抱くでしょう。私は生徒の想像力を刺激しようと努めています。読書を通じて、芸術に関する知識を通じて、全芸術の相関関係の理解を通じて、そうするのです」

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「演奏家には、果たすべき誠に困難で苛酷で遠大な仕事があります。俳優は毎晩一つの役柄を演じ、画家は何日も何週間も一つの絵画に専心し、作曲家は書いているうちは一つの作品だけに没頭します。それと違ってピアニストは、一度のリサイタルの間にあらゆる表現を慌ただしく行き来しなくてはいけない。素朴な表現から、牧歌的・感傷的・情熱的・精神的な表現までさまざまです。あらゆる感情を描くことを求められるのです。思うにこれは他分野の芸術家の仕事よりも大変なことではないでしょうか。ピアニストは初期古典派――ハイドンやモーツァルト――のシンプルさ、はつらつとした素朴さを、適切な感情で表現できなくてはいけません。バッハについては偉大さを、ベートーベンについては英雄的なメロディを、ショパンについては翳のあるエレガンスを、シューマンについてはロマンティシズムを、リストについては壮大さを、表現することが求められるのです」

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「生徒用の素材を選ぶにあたって、私は陳腐でありふれた道から離れようと努めています。多くの教師が、生徒に難しすぎる曲を与えるという間違いを犯しています。半年以上頑張って取り組んでも実際にマスターできないような――そして最終的に大嫌いになるような――厄介な曲を教えても仕方がありません。ショパンのスケルツォ(作品三一)やリストの狂詩曲はコンサートで聴くことができる。コンサートに行けば有名なピアノ曲のほとんどに慣れ親しむことができるのです。だとしたら、コンサートであまり演奏されない新鮮味のある曲を、生徒にもっとたくさん教えてあげてもよいでしょう」

「とらわれのない心を持つ教師にとって、仕事で独自性を出す大きなチャンスがここにあります。その人の仕事は、革新的な独自性によって評価されるでしょう」